パノラマ日本史「関ヶ原の決戦」(ひととき 2014年8月号|東海道・山陽新幹線車内誌)/ニュースななめ斬りbyギックス

AUTHOR :  田中 耕比古

人事を尽くさずして天命を待つな

先日、夏休みをいただいて(って、1日だけなんですが)関西に行っておりました。折角のお休みなので、奮発してグリーン車に乗りまして、そこで「ひととき」という車内誌を眺めていたところ、興味深い記事を見つけましたので、そちらをななめ斬ってみたいと思います。

新連載:パノラマ日本史の第1回

今回取り上げるのは「パノラマ日本史」という連載です。これは、僕が手にした「ひととき 8月号」から始まった新連載のようです。パノラマ日本史という題名から「日本史上のできごとを取り上げ、俯瞰することで、新たな発見がないか検証する」という主旨だろうと推察しています。(特に説明はないのですが、まぁ、大きくは外れていないと思っています。)

そして、この新連載の栄えある第一回は、あの有名な「関ヶ原の決戦」を取り上げます。

余談ですが、弊社の社長である網野は、歴史好き、特に戦国時代好きで、地方の田園風景を眺めていると「あの丘の上に陣を張ると、おそらく敵はあちらの丘に陣を貼るだろうから、こちらの部隊を左右に展開させるのが良いだろうな」とか言い出して周囲を困らせています。そんな彼が、「歴史」と「地形」を関連付けた本を以前紹介していますので、そちらもご一読いただければ幸いです。

関ヶ原の戦いの「真実」

本記事では、以下の新しい「真実」が示されます。(僕が知らないだけで、今の中高生にとっては常識だったりして・・・という一抹の不安を抱えつつ)

  • 東軍に寝返ったと言われている小早川秀秋は、開戦前から「東軍側」と認識されていた
  • 1万5,000人の小早川隊に対して、大谷吉継の1,500人+脇坂・朽木・小川・赤座の合計五隊が対峙していた
  • 戦力差は明らかだが、地の利のある大谷隊に、小早川は「攻め込めなかった」(攻め込まなかったのではない)
  • これは大谷隊=西軍の作戦勝ちであり、小早川に非は無い
  • 最大の敗因は、西軍の毛利秀元が動かなかった(山の上に陣取って動く気が無かった)こと
  • とはいえ、毛利が動かなくても、西日本最強と謳われた立花宗茂が到着していれば西軍が勝っていた可能性が高いのだが、関ヶ原に向かう道中で攻め落とす必要のあった京極高次の大津城(東軍)が思いのほか粘ったために関ヶ原開戦に間に合わなかった
  • 毛利が動かない、立花が間に合わない、という状況下で、小早川が攻撃したところ、東軍に呼応していた脇坂隊が寝返った
  • 脇坂隊だけならば、大谷+朽木・小川・赤座で鎮圧できていたはずだが、上記のような「西軍不利」という情勢下だったために朽木・小川・赤座も寝返った
  • その結果、大谷隊の「地の利」は消滅し、大谷吉継は敗走。西軍は一気に敗戦に向かう

なんと・・・びっくりです。僕の知っている歴史とは全く違います。(念のために補足すると、僕の知識では「小早川秀秋は優柔普段な男で、家康に寝返ると事前に約束しつつも、なかなか踏み切れなかった。そこに、東軍が銃弾を撃ち込んで寝返りを急かしたことで、意を決して突撃して西軍(大谷隊)を敗走させた」ということになっています。)

地の利:黒血川の存在

では、上記「真実」の中の、大谷隊の「地の利」とは何でしょうか。

それは、黒血川という”小さな川”です。長さは約2.5kmと短く、川幅も狭いのですが、この川が、小早川秀秋隊(東軍)と、大谷隊+4隊(西軍)の間を流れています。

実は、この川そのものというよりも、この川の流れる場所が「深い谷」になっていることが重要でした。

小早川隊がどれだけ大軍であっても、渓谷をおりると陣形は乱れる。そこを狙い撃ちにされれば大損害は必至。ということで、小早川は動けなかったわけです。

しかし、同じ河岸にいる脇坂隊ら4隊が寝返ってしまっては、大谷にとっての「地の利」はなくなります。谷を越えてくる小早川を狙い撃ちするどころか、脇坂らを迎え撃つだけで手一杯もしくは劣勢になってしまいます。

天の運:立花隊が間に合わない

そして、この状況(脇坂隊ら4対の寝返り)を作ったのが「天の采配」とも言うべき、立花隊が間に合わないという事態です。(もちろん、それ以前に、毛利隊が動いていれば関係なかったわけですが)

前述の通り、関ヶ原のすぐ裏手の大津城に籠る京極高次が粘ったことが大きいのです。なんと、大津城の開城は、関ヶ原開戦当日の朝でした。開戦に間に合わなかった立花隊は途中で引き返してしまったというのです。なんとも・・・。

こうなると、東軍勝利の最大の功労者は、京極高次ということになりますね。(wikipediaによると、彼は、立花隊のみならず、毛利元康隊、合わせて1.5万(一説によっては4万)を1週間食い止めた功績を認められ、家康によって国持大名に取り立てられたとのことです)

ビジネスに活かすべき”ノウハウ”

この驚きの事実を踏まえて、現代を生きる僕たちは、何を学ぶべきでしょうか。

僕は「地の利を活かさないのは怠慢だ」ということだと思います。

地の利=場の空気

コンサルタントは”空気”を大切にします。例えば、場の空気を良くするために、重要な会議では「採光力の高い大きな窓のある会議室」を極力押さえます。(反対に、1時間でディテールまで決めきらないといけないようなタイプの打ち合わせでは、ひざ詰めで語り合える狭い会議室を選びます。こういう時は、気が散らないように、窓が無い方が良かったりもします。)

そして、可能ならば10~15分前に会場入りし、どういう空気感なのかを掴み、また、どのように座るべきかを考えます。

これは、合コンなどでも同じですね。どういう店なのか、誰と誰が向き合うべきか、誰の横には誰を座らせればうまくフォローしあえるか、などを考えると思いますよね。そういうことです。

こういう「地の利」をキチンと考えることが、重要です。

人事を尽くして天命を待つ

地の利を考えることは、即ち「勝ち」を定義し、そこに至る道筋を描くことです。(関連記事:プレゼンってなんだ?:大切なのは「勝ち」を定義すること

戦で言えば、「相手を敗走せしめるために、どういう陣を構え、どういうシナリオを想定するか」ということですね。関ヶ原合戦での西軍の勝利のシナリオはこうでした。

  • 人数で劣る大谷隊+脇坂ら4隊が「地の利」を以って、小早川を足止め
  • その膠着状態の中、毛利秀元隊が山を駆け下り、中山道を攻めあがって家康の本陣を後ろから突く
  • 仮に毛利が動かなくても、今度は中山道を反対向き(西軍側)から立花隊が到着し、動けない小早川隊を横目に東軍を正面突破する(そうすると、きっと毛利も動く)

残念ながら、西軍の思惑は外れましたが、これは「人事を尽くして天命を待った結果」です。決して戦略的に間違っていたとは思えません。

仕事においても、このレベルまで「勝利への道筋」を定義し、シナリオを描ききることが大切です。

「勝負は時の運」という言葉がありますが、その言葉を軽々に使うべきではありません。”時の運”に委ねる前に、人事を尽くし切ることを怠るのは「再現性の低い”博打”をしているだけ」です。

人事を尽くした人だけが、天命を待つことを許されます。ま、戦国時代と違って、別に命を取られるわけではありませんから、そういう意味では気楽なものですけどね。(笑

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