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平等幻想がスクールカーストを生む|馬場正博の「ご隠居の視点」【寄稿】

AUTHOR :   ギックス

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ギックス
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本能と理想のギャップ及びそれを埋めるもの

スクールカーストは学級あるいは学校内での生徒の序列関係を示す言葉です。スクールカーストが話題になり始めたのは、ここ10年足らずのことで現象的には新しいものと考えられています。スクールカーストが言われれようになる以前の学校でも序列めいたものがありましたが、序列が学力や運動能力、あるいは親が有力者ということが理由だったのに、スクールカーストでは容姿、恋愛経験、生活範囲など多岐に渡り、学力の高さはむしろマイナスになることさえあるようです。そして、もっとも重要視されるのがコミュニケーション能力であることが多いというのも特徴的です。逆にコミュニケーション能力が低い「空気が読めない」ことはスクールカーストでの序列を下げ、イジメの標的にされる危険が大きくなると言われています。

人間には序列意識がある

スクールカーストが学校で、それも最近になって目立つようになって来た一つの原因として考えられるのは、スクールカーストによってコミュニティーの中で序列を作ることが、ある意味自然だということです。それは人間は序列を求める動物だからです。人間の序列意識の現れとして「バカにされる」ことへの怒りがあります。「バカにするな」が喧嘩の合図になるほど、その感情は強烈です。しかし「バカにする」行為は直接危害を及ぼすものではありません。バカにされたからといって、怪我をしたり、金品を奪われるようなことはありません。

強いて言えば「名誉」を奪われるのかもしれませんが、他の人が気付かないように、薄ら笑いを浮かべながら「頭が悪いな」と呟かれても名誉を失うこともないでしょう。一方、困ったことに人間は人をバカにしたいという抑えがたい欲求があります。「上から目線」を略して「ウエメセ」という言葉がネットなどでよく使われますが、人を小馬鹿にしたような言い方での批判はネットで頻繁に見られますが、その大半は匿名です。相手から反撃されにくい匿名という衣をまとうと、すぐ人は他人をバカにするようになるのです。

バカにされたことに強い怒りを覚えたり他人をバカにしたいという欲求が序列意識にあるとして、なぜ人は序列を求めるのでしょう。人間がこのような根深い感情を持つ場合、その原因の多くは進化の過程に求められます。この想定を裏付けるものとして、類人猿に広く見られる集団での序列の存在があります。ゴリラのように一匹の雄がハーレムを作り雌を独占しない限り、霊長類は集団の中で厳密な序列が決められています。序列が下の雄は上の雄に要求されれば、雌も餌も提供しなくてはなりません。

平等思想と序列意識

類人猿の集団に序列が存在するのは、序列が決められていないと集団のメンバーが互いに食料やセックスを奪い合い、時として一方あるいは両方が傷ついたり殺されたりする可能性があるからです。つまり序列は無駄な争いを避け、集団を守るためにあるのです。バカするというのは、この序列の確認、あるいは序列に対する挑戦と考えることができます。相手をバカにするのは下の序列と見なすのと同じです。序列が低ければ、持っているもの全てを与えなければなりません。バカにされるという行為が著しく感情を刺激するのは当然と言えます。バカにすることができる、つまり相手より上位の序列にいれば、相手の全てを奪い取ることが許されます。人が他人をバカにしたい欲求を強く持つのも進化の過程で自然に産み出されたものなのでしょう。

ところが、現代の学校は建前として序列をつけることを極端に避けようとする傾向があります。昔は期末試験の点数の上位者を廊下に貼りだすようなことが、広く行われていたのですが、そのようなことは全く許されなくなりました。運動会で全員を一着でゴールさせたり、クラス全てに同じ評価を通知簿につける教師が問題になったことがあります。今でもそのようなことが行われているかは知りませんが、差別はいけない、人間は皆平等であるべきだというのは強く普遍的な規範で、クラスの中に序列があることを否定するのはその延長線上にあります。これは正しく美しい世界ですが、類人猿の一種である人間にとって大変不安定なコミュニティーです。チンパンジーならお互い牙を剥きあって殺し合いの闘争を始めるような状況です。学力でも、運動会の成績でも、家柄でもどんなことでも差別や序列が許されなくなった学校で、自然発生的に序列づけのためのスクールカーストが生まれたのでしょう。

スクールカーストにより、コミュニティの安定が保たれている?

そう考えると、スクールカーストの中でコミュニケーション能力が非常に重要視される理由も理解できます。学校では序列を決定できる具体的な指標はありません。色々な尺度を手探りで評価しながら、スクールカーストを作り上げていかなければならないのです。チンパンジーのように殺し合いで序列を決めることができないのなら、コミュニケーション能力で全員が認める評価基準を探り当てることができる生徒ほどスクールカーストの上位に君臨することができるのです。一方で、この手探りの序列づけに鈍感な「空気の読めない」コミュニケーション能力の低い生徒がイジメの標的になるのは、コミュニケーション能力の低さが序列を認めないことにつながるからでしょう。序列を認められなければ、序列の外、つまりクラスの中でイジメの標的になるしかなくなってしまうのです。

しかし、スクールカーストがイジメの増加につながっているかというと、むしろ逆なのかもしれません。スクールカーストのようなものでも、序列システムとして機能するのなら、クラスの中で争いやイジメは序列を存在しない状態よりは減らすことができるかもしれないからです。イジメというのは肉体的被害や物品を奪うより、コミュニケーション能力が低い生徒をバカにするというレベルから始まるものが多いと思われます。特にクラス全員がイジメを楽しむような精神状態になるのは、イジメがバカにするという欲求を満足させるものだからでしょう。だとするとスクールカーストもイジメも平等を求め、差別を嫌う現代社会の規範、あるいは平等主義が生み出したものと言えます。

学校は職場と違い絶対的権威が存在しません。職場は社員間で独自の序列付けなどしなくても明確に上司、部下という関係があります。しかし、学校で教師は昔のような絶対的な権力はありません。モンスターペアレンツに脅かされ、学級崩壊の危険にさらされています。イジメの発生を教師という権力で抑え込むことが難しいのです。イジメを無くすために「人に悲しい思いをさせてはいけません」と言っても、イジメを楽しみ、序列を守ろうとするスクールカーストの中では、ただのきれい事に過ぎないのです。

人間は類人猿の中で最大の集団を作ることができる種です。集団の中で、人類は家族を作り、伝統的には家族の中には厳格な序列があります。学校は家族から同年齢の子供を引き抜いて集団化させたものですが、同い年であるために序列を何かの基準で作らなければ集団が安定しないのです。しかも、学校は集団生活を維持すること自身が大きな教育目的になっています。塾のように、ビジネスライクに受験テクニックを学び、合格という塾と生徒に共通の目的を共有する場ではありません。学業成績という数字に表しやすい基準で序列付けが許されなくなった時、DNAに刻み込まれた序列への渇望がスクールカーストを生み出したのでしょう。スクールカーストにまつわる様々な弊害を指摘することは簡単です。しかし「人間は序列付けなどできない」と言えば言うほどスクールカーストが強化されるという皮肉は否定することができないのです。

 

(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)


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馬場 正博 (ばば まさひろ)

経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。

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