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世界大戦を回避させた「スポンサーから一言」|馬場正博の「ご隠居の視点」【寄稿】

AUTHOR :   ギックス

インターネットが可能にする「スポンサーから一言」

アメリカのSF作家、フレデリック・ブラウンは短編SF、いわゆるショートショートの大家として有名です。亡くなったのは1972年と「昔」と言っても良いほど時間が経ってしまい、今ではあまり読まれることもないかもしれません。しかし、巧妙なプロットやユーモアあふれる沢山の作品は日本のSF作家たちにも大きな影響を与えました。

「スポンサーから一言」は、フレデリック・ブラウンが朝鮮戦争の始まった翌年の1951年に書いた短編です。朝鮮戦争では、アメリカは優勢な共産側に対抗するために、原子爆弾を使用することを真剣に検討しました。それがそのまま第三次世界大戦につながる危険は、かなりの現実味を帯びていました。「スポンサーから一言」は、そのような時代背景の中で冷戦を扱った沢山のSF小説の一つですが、人類の滅亡の可能性さえある中で、神という存在を感じさせる優れた短編です。多少のネタバレのきらいはありますが、そのさわりをご紹介します。

場面は小説の書かれた3年後の1954年の6月9日に始まります。今や米ソの冷戦は緊張の極に達し、全世界に展開する双方の軍は臨戦態勢で対峙し、アメリカ各所の徴兵事務所では、勇敢な若者たちが志願兵になるために朝から列をなしていました。その日の朝8時30分に、ラジオは突然どの局も一斉に同じ言葉を流し始めます。「それではスポンサーから一言」。そして、それに続いて別の声が放送されます。「戦え」。驚くべきことには、時差に合わせて、さらに放送される場所の言葉に合わせて、全世界で同じ内容の放送が次々と行われます。原因は分からず、放送を遮ることもできませんでした。誰が世界中のラジオを電波を占領して「戦え」と言ったのか不明なまま、この謎の放送は厭戦気分を急速に高め、徴兵事務所の若者の列は消え失せました。和平に向けての話し合いは、対立から妥協にと雰囲気を一変させます。「スポンサーからの一言」は世界大戦を回避させたのです。

現在でも、技術的にはラジオのネットワークを占拠するのは極めて困難です。たとえば非常に強力な電波を発生すれば、どの局に合わせても同じ放送を聴かせることは可能ですが、ラジオ電波すべてを打ち消すほどの電波を出すには、強力なエネルギー源が必要です。世界中のラジオ電波を全部打ち消すほどの電力となると見当もつかないほどですし、ましてあらゆる場所から発信するとなると、「技術的に可能」とはとても言えません。そんなことを実行するのは「全能の神」しかできそうもないでしょう。「スポンサーから一言」は全面核戦争の恐怖を前にラジオネットワークの占拠という形で、神の存在を強く感じさせる小説です。

インターネットなら可能か

ラジオネットワークではなく、インターネット全部を乗っ取ってしまうようなことはできるでしょうか。インターネットに接続されている全てのコンピューター、PC、携帯電話に決まった時刻に一斉にメッセージを発信するには、あらゆるメールアドレスを集めることが必要です。似たようなことは迷惑メールをばらまくSPAMメッセージがやっていますが、「漏れなく全部」となるとメールアドレスを登録しているサーバー全てに侵入することが必要です。これはこれで、とても簡単なこととは言えません。「できるできない」で言うと、「できない」と考えた方が良いでしょう。

現在の暗号化技術の中核は、大きな数の素因数の分解は簡単にはできないという前提に立っています。素因数分解とは、たとえば35という数を57という二つの素数に分解することですが、桁数が大きくなると世界中のコンピューターを集めても、何万年も何億年もかかるほど、大量の計算をする必要があります。つまり今の技術では暗号は簡単に解くことができませんし、そのお陰でコンピューターのデータの安全は保たれています。しかし、量子コンピューターと呼ばれる、大量の計算を同時並行的に実行するコンピューターが実現できれば、そのような暗号も一瞬で解読できてしまいます。逆に言うと、量子コンピューターのような技術ができない限り、すべてのコンピューターに簡単に侵入することは事実上不可能です。

ただ、存在していない技術を実現することは、神の領域とまでは言えません。SF作家のアーサー・C・クラークは「十分に発達した技術は魔法と区別がつかない」と言いましたが、進んだ技術は魔法そのものではありません。もし、世界のどこかで量子コンピューターをこっそり作ってしまった人がいれば、その人にとって暗号はないのも同じになります。もし、ある日一斉に全てのインターネットに接続されているコンピューターにメールが届いたらそれこそ、「自分は量子コンピューターを持っているぞ、全ての暗号は解読できるぞ」と言われているのと同じことになります。これはこれで不気味この上ないことです。

インターネットは神になるのか

第三次世界大戦を中止させた「スポンサーから一言」は神という名の人類のスポンサーを推測させるものでした。もし、インターネット全体を占拠し操れるのなら、それは神に近い力を持ったと言えるでしょう。いや、インターネット全体が一つの「意志」のようなものを持って自律的に動くようになれば、それは神というよりむしろ、一つの生命体と考えることができるかもしれません。

「生命体」の定義に明確なものはありません。同様に意志の定義にも明確なものはありません。しかし、インターネットが全体として個々のコンピューターをはるかに超えた物になってきたことは事実です。人間の脳は数千億のシナプスと呼ばれる要素からできていますが、脳全体の働きは個々のシナプスを見てもわかりませんし、単なるシナプスの集合体でもありません。コンピューターが生まれた頃、コンピューターが人間を支配する時代が来ると考えた人は沢山いました。もちろん、コンピューターは現在のレベルでも人間の「知能」と呼ばれるようなものはもっていません。しかし、インターネット全体となると話は違ってきます。少なくともインターネットは、コンピューターのように「人類に逆らったらプラグを抜いてやればいいのさ」というわけにはいきません。インターネットは膨大な数のコンピューターとネットワークから構成されていて、決して停止することなどないのです。

今日、インターネットでは、膨大な数の「ロボット」と呼ばれるプログラムが自動的に情報を集め回っています。株の取り引き、受発注と在庫補充、レーダー監視様々な作業は自動化され、人間を介在させずにいわば自律的に常に稼働しています。インターネットを本当の意味で「設計」した人は誰もいません。インターネットは何か明確な設計目標に向かっているのではなく、自律的に成長し、進化を続けています。インターネットに取り込まれた情報は、あるものは次から次へと伝播し、予想もつかない反応を引き起こします。これはシナプスが「発火」によってシナプスの連鎖で情報を処理していくのと、似ていないこともありません。

今や、インターネットはコンピューターや携帯電話だけでなく、家電製品、自動販売機、TVモニター、あらゆるものがインターネットに結びつけられつつあります。IoT (Internet of Things)は既に現実の一部です。そしてあらゆるものがインターネットによってつなげられる中で、人類そのものがその構成部品となっていることを忘れてはいけません。このままインターネットが進化を続ければどうなるのでしょうか。たとえば、人類の危機、つまりインターネット自身の危機をインターネットが察知したとき、インターネットはそれを防ごうとアクションを「自律的」に起こすかもしれません。ある朝、あなたの携帯電話にメールが届き、その件名が「スポンサーから一言」になっていることだってあるかもしれないのです。

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