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ムーアの法則が終わる時|馬場正博の「ご隠居の視点」【寄稿】

AUTHOR :   ギックス

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ギックス
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ムーアの法則が50年間も続いたことは産業史上というより、人類史上稀有の出来事

ムーアの法則は「半導体集積回路(ICチップ)の密度は毎年2倍になる」というものです。1965年インテル社の会長になったゴードン・ムーアが発表しました。ここでは単純に密度が2倍になると書きましたが、写真印刷の技術をベースにしているICチップは密度が2倍になっても製造コストはあまり変わらず、価格性能比も概ね2倍になります。ムーアの法則はICチップは密度だけでなく、コスト、性能が1年で2倍という劇的な進歩を続けると言い換えることもできます。

ムーアの法則はその後「1年で2倍」から18か月あるいは2年で2倍と改められて使われることが多くなりましたが、驚くべきことにムーアの法則の発表から50年の今日まで、一貫して半導体技術の倍々ゲームの進歩は続きました。「驚くべき」と書いたのは、やや保守的にムーアの法則を「2年で2倍」と書き直しても、10年で32倍、20年で約1,000倍、50年では3千万倍以上にもなるからです。

仮にムーアの法則が原油価格に適用されたとすると、1バーレル50ドルが50年間で600万分の1ドルになってしまいます。日本の原油輸入量は1日約360万バーレルですから、原油価格がムーアの法則に従えば、支払いは0.6ドル程度で済んでしまいます。これでは個人のガソリン代にもなりません。実際、現代のスマホ1台の計算能力は1970年頃の日本にある全てのコンピュータの計算能力を上回っているでしょう。ムーアの法則が50年間も続いたことは産業史上というより、人類史上稀有の出来事なのです。

半導体集積回路はコンピュータそのものと言っても良いのですが、50年間ムーアの法則が続いたことで、あらゆる分野でコンピュータ化、言葉を変えればデジタル化が進みました。テレビは最早コンピューターそのものですし、複雑な歯車の機械仕掛けは何もかもコンピュータチップに置き換えられてしまいました。通信もムーアの法則の影響を強く受けている分野です。スマホの能力は、昔のダイアルを回した黒くて重い電話機ではなく、電話会社の交換局全てと比較した方が適切ですし、オンライン技術の基本のデータ通信では1990年頃でも今日では当たり前のMビット単位の通信は、大企業が毎月億単位の料金を払ってようやく獲得できるものでした。

人類は1969年にアポロ宇宙船で月着陸を行っていますが、その頃と比べ、ジェット旅客機の速度はあまり変わりませんし、乗員人数にいたっては1970年に就航した747ジャンボジェットと比べて、むしろ少なくなっています。ムーアの法則が航空機にも適用されていれば、今頃はプール付の巨大旅客機が何千人もの乗客を乗せて太陽系どころか他の星系まで飛び回っていたはずです。これは1960年ごろに描かれたSFの楽観的な未来像さえ上回るものでしょう。月面に恒久基地があり、木星へと宇宙船を送り出すという1968年制作の「2001年宇宙の旅」の世界はムーアの法則が宇宙旅行にも有効なら、とっくに実現していたはずです。

その奇跡のようなムーアの法則が、生まれて50年経った今、終焉をささやかれています。ムーアの法則を支えてきたICチップの回路の微細化が限界に達しつつあると言うのです。先述したようにICチップは写真技術により、回路をシリコン面に焼き付けることで作られます。微細化が進むと、通常の光の波長よりさらに小さな波長を持つX線やγ線を利用することが必要になりますが、それも限界があります。微細化技術は物理的限界にぶつかりつつあるのです。

もっとも、ムーアの法則がこれ以上は続かないだろうという意見は今まで何度も出ています。そもそもムーアの法則が発表された時、当のムーア自身が10年程度しか法則の継続を予想していませんした。微細化を進めると、半導体製造装置の収められている空気中のチリの数のようなことが問題になってきます。空気の清浄化が限界になるだけでムーアの法則が破綻する可能性すらあったのです。装置のわずかな振動も問題になります。半導体の工場から何キロも離れた新幹線の通過時刻に合わせて半導体の歩留まりが低下したといった逸話がいくつも残っています。無数とも言える技術的困難の中でも、微細化つまり密度の向上に合わせて価格性能比を向上させるのは常に問題でした。微細化が進むほど製造装置は高価になり、工程は複雑になったからです。

価格性能比がムーアの法則に合わせて向上し続けた背景には、ICの価格が低下することで次から次へと新しい応用分野が開けてきたことがあります。アナログ回路による制御や歯車式の制御はデジタル処理で置き換えられてきましたし、パソコン、携帯電話というICの巨大な消費市場が現れることで、半導体の生産量はムーアの法則にもかかわらず絶対額では高度成長を続けました。大量生産が製造工程でのコストアップを吸収してくれたのです。しかし、大量生産によるコスト低下は一定の限界があります。技術的に無理な微細化は製造コストを跳ね上がらせる結果になるでしょう。その兆候はここ数年ジワジワと現実のものになってきました。

何にでも終わりはあります。集積回路では回路製作の最小の加工寸法-プロセスルールを微細化の指標として使います。現在そのプロセスルールは10ナノメートル(1ナノは10億分の1メートル)に達していますが、IC技術の主流となっているCMOSでは2020年頃に5ナノメートル程度がほぼ限界だと言われています。とは言っても、ムーアの法則が突然消え失せえしまうことは考えられません。2年で2倍、10年で30倍の価格低下が多少減速しても10年で10倍、20年で100倍程度の性能向上は今後も期待できます。20年は無理でも10年は続くのではないでしょうか。微細化を阻む要素が無数にあるのなら、物理法則に縛られる前に改善できる要素も無数にあるからです。

問題は製造技術より需要側かもしません。半導体の進歩は製品の高速化、大容量化、小型化を可能にしました。最初は大企業や公共機関に設置された大型コンピュータがその恩恵を享受しましたが、70年代後半に登場したPCは半導体の需要を爆発的に増やしました。そして、携帯電話、ゲーム機器、デジタル家電そしてスマホがムーアの法則を吸収するだけの需要を作り出したのです。ところが爆発的な需要の増加にも陰りが見えています。iPhoneは新しいモデルが出てもエキサイティングな機能の向上は見られません。Windowsなどはもはや保守停止というマイクロソフトの都合でしかバージョンアップの必要がない人の方が多いでしょう。これからもムーアの法則通りに、半導体の価格が安くなり続けたとして、何に使うというのでしょうか。

ソフトウェアの進歩はムーアの法則のような倍々ゲームではありません。巨大な処理能力を使い尽くすためには、人間がソフトウェアを作っていかなければなりません。コンピューターが自分でプログラムを書くような人工知能は、全く開発の目途は立っていません。1960年代の作品の「2001年宇宙の旅」に登場する思考力を持ったHALのようなコンピューターはいまだに存在しませんし、2003年に生まれるはずの鉄腕アトムのような心を持つロボットはありません。

膨大な半導体の使い道はPC、携帯電話がそうだったようにまだ半導体を使っていない全ての物、IoT Internet of Thingsでしょう。あらゆる商品タグにICチップが埋め込まれ、一瞬でレジを終了させる。すみずみに張り巡らせられたセンサーが互いにコミュニケーションをしながら一体的に機能を果たす。IoTがどの程度の速度で普及するかは、半導体の価格がどの程度の速度で安くなるかが関係します。ムーアの法則が次第に失われていけば、IoTの進展の歩みも遅くなるでしょう(ただし、私はIoTの普及はムーアの法則の残り火があるうちに十分進むだろうと思っています)。

ムーアの法則は本当に終わってしまうのでしょうか。真空管がトランジスターに置き換わったように、量子コンピューターのような別の技術体系が半導体集積回路の進歩を引き継いでくれるかもしれません。しかし、原油価格、ジェット旅客機の性能の例で示したように、50年で3千万倍の価格性能比の向上は技術進歩の中でも稀有な幸せな期間だったことは間違いありません。ムーアの法則がなければ、コンピューターは今も神殿のような大企業の奥に潜んでいたでしょうし、自動車も機械仕掛けの制御装置に頼っていたでしょう。ムーアの法則はコンピュターや通信だけでなく、デジタル化により産業全ての進歩の牽引車でした。新しい時代に私たちは向かおうとしているのです。

(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)


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馬場 正博 (ばば まさひろ)

経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。

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