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アリゾナ記念館を訪ねて|馬場正博の「ご隠居の視点」【寄稿】

AUTHOR :   ギックス

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ギックス
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冷静で客観的な目を持つことの必要性

アリゾナ記念館は、ハワイのオアフ島にある真珠湾の真ん中、フォード島という湾内の小さな島のそばに浮かぶ白色の慰霊碑です。海上の横長の建物の下には、記念館と直角に交差して巨大な戦艦アリゾナが浅い真珠湾の海底にあります。日本時間の1945年12月8日、現地のハワイでは12月7日の朝、戦艦アリゾナは、日本帝国海軍の艦載機の攻撃を受けて大爆発し、わずか10分足らずで多数の乗員とともにその場所に沈んでしまったのです。

太平洋戦争、日本とアメリカにとっての第二次世界大戦の始めとなった、真珠湾攻撃でアメリカ海軍は太平洋艦隊の主力を一挙に失いました。戦艦だけで8隻のうち6隻が沈没し、残りもかなりの損害を受けました。後に、そのうち5隻の戦艦は引き上げて修理され戦線に参加しますが、戦艦オクラホマは引き上げられたものの修理は不可能と判断され、アリゾナは引き上げられることもなく1,177名の乗員とともに真珠湾にそのまま残されることになります。

アリゾナ記念館は戦後17年を経過した1962年、大戦の記憶を留め、死者を弔うために作られました。アメリカの公共の施設の多くと同様、アリゾナ記念館と付随する太平洋歴史公園の施設の大部分は無料で公開されていて、毎年多くのアメリカ人が訪れます。アメリカ本土からハワイを訪れる観光客にとって、アリゾナ記念館は最大の訪問先の一つです。

しかし、ハワイに来る日本人のほとんどにはアリゾナ記念館はなじみのある場所ではありません。アメリカ人に囲まれて真珠湾攻撃の象徴、まだ千名以上の遺体が残ったままになっている沈没した戦艦を見るのはあまり楽しくはなさそうです。そんな所で、わざわざ半日以上を費やす気にはなかなかなりません。

私も何度かハワイに来ていましたが、アリゾナ記念館は半ば避けていました。それがたまたま3年前、2012年の2月に正月休みの代わりにハワイに行った時、今度はどうしても訪れようという思いが強くなりました。理由は自分でもよく判りません。年を取るにつれ鎮魂というものの大切さを以前より感じるようになったのかもしれません。何度もハワイに来ているのに一度も行ったことがないのもどうかという気持ちあったとは思います。いずれにせよ、私はアリゾナ記念館を訪ねることにしました。

決心はしたものの、やはりアメリカ人の目は気になります。記念館のホームページを見ると「Tシャツなど不適当な服装は遠慮するように」とあります。ハワイで襟のあるシャツを求めるのは上着着用を義務付けるようなものです。私はホノルルから日本に帰る日に空港の途中に立ち寄ることにしました。冬の日本に備えて、青いポロシャツに長ズボン、上着まで着ています。これなら大丈夫だろうという格好です。着いてみると、アメリカ人の服装は拍子抜けするほどカジュアルでした。お年寄りの団体客では、男性はアロハシャツ、つまりハワイの正装が多いのですが、Tシャツどころか、ランニングシャツ姿も目立ちます。見た所はただのアメリカの観光地です。

ただ、軍事施設の一つであることは確かで、アリゾナ記念館への船が出る太平洋歴史記念公園に入るにはバッグを入口で預ける必要がありました。中に入ると真珠湾攻撃と太平洋戦争にいたる解説をしている建物が並んでいます。アメリカ人にとって、真珠湾攻撃は遠い過去の話で、関連する歴史など知っている人は多くはないようです。しかし、これは今の日本人でも同様でしょう。

この種のアメリカの展示場の例に漏れず、展示物や解説は充実していました。その中では太平洋戦争にいたった背景については「アジアでの日米の権益が衝突」したと説明されていました。これは真珠湾攻撃を記念するアメリカの展示場の歴史観としては驚くほど公平と言えます。奇襲した日本に対し「卑怯」「卑劣」といった表現は使われず、アメリカ人と一緒にいても居心地の悪さを感じられるような物ではありません。

これと比べれば、靖国神社にある日本の戦争の歴史を展示していると言う遊就館の解説はずい分と一方的にアメリカを非難しています。そこでの解説は、まるで日本がルーズベルトの陰謀で望みもしない日米開戦に無理矢理追い込まれたと主唱しているようです。歴史は日本が全て悪いという自虐史観と被害者意識丸出しの陰謀史観を結ぶ線上にはなく、もっと深く立体的なものです。そしてその全体像をとらえるには、冷静で客観的な目を持つことが必要です。アメリカと比べれば日本はいまだに太平洋戦争を消化してはいないのかもしれません。

ただ、展示場での音声解説ではルーズベルトが天皇に宛てて平和を訴える手紙を出していたことが述べられ、アメリカの平和努力が強調されていました。展示物には手紙の文章が飾られていて、それを読むとルーズベルトは平和の実現に「日本が中国戦線から兵を引き上げる」ことを条件としていることが判ります。この条件は広範囲に中国で戦っている日本にとっては少なくとも短期間では到底受け入れがたいものでした。戦争は事実上避けることができなかったのです。

展示の解説を見ると、日米間の戦争に備え、アメリカ海軍は真珠湾攻撃のほんの少し前に本土のサンディエゴから太平洋艦隊主力を真珠湾に移動していたことがわかります。この事実は、ルーズベルトが真珠湾攻撃の情報を事前に察知していたのに国民世論を参戦に向かわせるために握りつぶした、という陰謀説がいかにバカバカしいかを示しています。ルーズベルトが参戦したがっていたのは事実のようですが、わざわざそのために太平洋艦隊を全滅させる必要などないからです。

事実、真珠湾攻撃の傷は深く、アメリカは開戦当初日本がフィリピンを含む南方に進出するのを見ているしかありませんでした。真珠湾攻撃でアメリカに打撃を与え、立ち直るまでに有利な位置を占めてしまうという山本提督の目論見は成功したと言って良いでしょう。

戦況が一挙に日本に不利になったのは真珠湾攻撃から半年後のミッドウェー海戦で日本が敗北を喫してからです。展示場ではミッドウェー攻撃の数週間前に日本の紫暗号が解読されたことが述べられ、紫暗号の解読機のレプリカも置かれています。これが事実なら、ミッドウェー海戦の敗北は日本の油断による機密漏洩でもなく、目標を陸上、海上と何度も変えて航空機の兵器の換装を繰り返したためでもありません。要するに待ち伏せに会ってしまったのです。展示されている旧式のラジオのような暗号解読機が日米の立場を逆転させてしまったのです。

真珠湾攻撃は現地時間8時頃開始され10時前には終了しました。その間二度の攻撃が行われたのですが、第一波ではほぼ無傷だった日本軍が、二度目の攻撃では航空兵力のおよそ2割を失ったことが示されています。アメリカ側の戦闘態勢が整ってきたからです。日本から遠いハワイ敵戦艦を全滅させてなお攻撃を続けるのは危険過ぎたのです。わずか2時間の攻撃で日本軍が帰途に就いたのは当然だったはずです。巷間言われているように、第三波攻撃を仕掛けなかった南雲司令官を無能と断ずることは公平性に欠けると言うべきでしょう。

歴史公園からアリゾナ記念館までは船で15分ほどです。アリゾナ記念館の隣には日本が降伏調印をした戦艦ミズーリが係留されています。太平洋戦争を始めた真珠湾攻撃の犠牲となった戦艦アリゾナと、アメリカの勝利を確定させたミズーリを見て改めて思うのは、太平洋線戦争は結局海軍の戦争だったということです。物量が決定的な海軍同士の戦いを圧倒的な生産力を持つアメリカに対して挑んだ日本はやはり愚かだと言わなければなりません。それにしても、戦艦ミズーリでの降伏調印など今の日本人のどれくらいが知っているでしょうか。

アリゾナ記念館の真下の戦艦アリゾナは今では魚が育つ岩礁になっていて、記念館からは姿はよくわかりません。それでも、アリゾナから今でもなおわずかづつ漏れ出てくる油が虹色の幕を作っているのははっきりと見て取れます。この下に千人以上の遺体がある。その数は第二次世界大戦で失われた五千万人の命からみれば誤差のうちにも入りません。しかし若い沢山の命が失われた現場を目の当たりにすると、月並みですが戦後70年平和だったことの大切さを思わないではいられません。来て良かった。記念撮影に忙しいアメリカ人たちの横で、私はそう思っていました。

(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)


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馬場 正博 (ばば まさひろ)

経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。

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