第七戦:vs 武蔵自身 (第2巻より):潔い死よりも、無様な生を選べ|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

何かを背負う覚悟は、死ぬ覚悟よりも尊い

この連載では、バガボンドの主人公、宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第7回の今回は、武蔵自身との心理的な戦いです。

バガボンド(2)(モーニングKC)

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死を覚悟している武蔵に、与えられない死

おつうとの邂逅により、沢庵に捕らえられた武蔵ですが、無抵抗の状態で村人からボコボコにされ、最後には木に吊るされます。

木に吊るされている間、本位田のおばば(又八の母)が何度も訪れます。そして武蔵への恨みつらみ、イヤミを並べ立てて帰りますが、武蔵はほとんど反応しません。(ムカついてはいるようですが)

一方、武蔵を捕縛した沢庵があらわれると、常に「殺せ」という意思をぶつけ、暴れます。そんな武蔵に、沢庵は問いかけます。

……もう そこからの眺めにも飽きただろう……

そろそろ おのれを眺めてみたらどうだ

その問いに、武蔵は

闇のほかに なにもない

と答えます。

潔く死ぬ、とは、逃げではないのか?

武蔵は、死ぬ覚悟はできている。殺せ、と主張します。それに対して沢庵は、こんな話をぶつけてきます。

潔く死にたいか? 武士らしく? 駄目だ 勝手を言うな
お前に殺されていった者たちにも それぞれの人生があった
(中略)
武蔵 お前が終わらせたのだ 彼らの人生を

お前だけ死にたいときに死ぬだと? 武士らしく潔く?
何様のつもりだ お前は

彼らの命を奪ってまで生き延びておいて ここらで格好良く死にたい?
ずいぶん自分勝手じゃないか

この話を受けて、武蔵は、自分の中にある「天下無双」という言葉と向き合います。天下無双を掲げ、多くの人の命を奪った自分。その「天下無双」という言葉は、父、新免無二斎の言葉であったこと。そして、その父から受けた恐怖を思い出します。武蔵の目からは涙があふれます。

そこに、辻風黄平があらわれます。そして、武蔵に「潔い死」を与えようとします。待ちに待った潔い死です。しかし、武蔵には喜びの感情はありません。まさに命を奪われんとするその時、沢庵和尚の”気迫”によって、辻風黄平は逃げ去ります。

死ぬか、生きるか

殺せ、殺せと訴える武蔵に、沢庵は「暗い顔だ」と語りかけます。斬って斬って斬りまくって、いつか力尽きて斬られるまでの人生が望みならば、ここで死ねば本望じゃないのか。だとしたら、朗らかに笑え、と。

武蔵は、自らの頭を岩にぶつけながら、考えます。自分を捨てた母親、自分を殺すと言った父親、自分を疎み、忌み嫌った村人たちを思い出しながら。

何故 何故俺を 生んだのだ
捨てるのなら 殺すのなら

疎まれ 恐れられ 忌み嫌われ
殺して 殺して 殺されるだけの鬼の子なら

何故俺は生まれたんだ

沢庵は、そんな武蔵の自殺を止め、生きていて良いんだと諭します。それを受け、武蔵は、自分は、生きていて良いのだと生まれて初めて思うのです。

ちなみに・・・

この戦いを受けて(3巻の冒頭で)「宮本村の新免武蔵(たけぞう)は死んだ。これからは宮本武蔵と名乗れ」という沢庵の言葉に従い、ここに「宮本武蔵(みやもとむさし)」が誕生するわけです。

逃げるな。無様に生き残れ。

沢庵和尚の言葉は、なかなかに深いです。

闇を知らぬ者に 光もまた無い
(中略)
闇を抱えて生きろ 武蔵
やがて光も見えるぞ

死にたいように死ぬのではなく、無様でも良いので生きろ、というわけです。生きて前に進み続ければ、いずれ何かを得ることもできるだろう、というわけです。

この考え方は非常に重要です。何かを諦める前に、僕たちは、この言葉を思い出すべきです。転職するとか、勝ちたい商談とか、恋人と付き合うとか別れるとか、なんでもいいんですけど、何かを「無理だ」と断じて諦める前に、キレイじゃなくてもいいから続けてみないか、と考えてみましょう。

逃げるのは簡単です。反対にいえば、いつでも逃げられます。もちろん、身体やメンタルを壊すくらいまで追い込まれてはダメですけれど、頑張ること自体は悪いことではないです。キツい状況や、ツラい状況を乗り越えるための努力は、本当に尊いのです。

バネは縮まないと跳べない

第五戦の辻風黄平との戦いの項でも述べましたが、盲目的に進むことが大切な時期、というのが人生にはあります。

武蔵は、自分がトンネルの中にいることに、気づいてはいませんでした。しかし、おつうとの再会、沢庵との対話を通して、自らが生きる目的を持っていないことに気づくわけです。そして、その対話の中で見つけた「天下無双」という父の掲げていた言葉を追いながら、生きていくことを決めます。天下無双という言葉にすがるのが良いかどうかはさて置いて、武蔵が「自分は、何のために生まれたのか」という問いに辿り着いたのは、非常に大きな進歩です。この根源的な問いに向き合うまで、我武者羅に、盲目的に進むことができる人は少ないです。

例えば、なんのために働くのか、という問いは、多くの人が考えたことがあると思います。ただ、多くの場合「お金のためだ」とか「自己実現のためだ」とかいう答えに辿り着きがちですよね。これって、あんまり真面目に考えて無いと思うんですよ。もしくは、真剣に向き合うべき問いとして捉えていないと思うんですね。僕は、この問いにガチで向き合った結果、「別に働かなくていいのにな」とか「誰かに頼まれたわけでもないのにな」というところに辿り着きました。そして「働きたいから働いてるんじゃないのか」という結論に至りました。反対にいえば、働きたくないなーと思うような環境にいるのなら(環境を変えるのか自分を変えるのかという手段はともかくとして)、働きたくなるようにすればいいんじゃないかと思ったわけです。その結論に至るまでに、3回くらい胃に穴あけてますし、いろいろ大変だったんですけど、まぁ、それでも我武者羅に走ってみることが重要だと思うんですよね。(胃に穴はあけない方が絶対良いですけど)

バネは縮まないと跳ねません。高く跳びたいなら、しっかり縮みましょう。そんなことを思わされる、この第七戦です。

さて、次回からは「宮本武蔵」としての活躍です。作中では描かれない4年間の武者修行を経て、ついに、吉岡道場殴り込みですよ!わくわくしますね。

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