第二十八戦:vs 吉岡清十郎(第21-22巻より):武蔵、京都に戻る|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

武蔵、1年ぶりに京都に戻る!

バガボンド(21)(モーニングKC) バガボンド(22)(モーニングKC)

この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第28回の今回は、吉岡清十郎との戦いです。

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あれから1年・・・

ごぶさたしてます。サボってたわけじゃないんですけどね。でも、前回記事が8月初なので、3ヶ月もたってしまいました。面目ない。

さて、記事更新自体も久々ですが、それよりも前の話なので、もはや誰も覚えていないのではないかと思うのですが、この連載を開始したのは2015/12/11です。その翌日に、弊社(株式会社ギックス)が創業3周年を迎えるというタイミングでした。そして、読み込みを1年かけておこなっていきたい、と思っていました。

武蔵が最初に吉岡伝七郎と勝負をしたとき、彼は、17歳で宮本村を離れてから4年間の武者修行をした後のことでした。僕たちも3年をかけて、なんとか吉岡道場に殴り込もうと思える程度には成長したと思っています。(コテンパンにやられちゃうおそれは多分にありますが。)ただし、今から1年後の2016年12月12日に、吉岡一門を打ち破れるほどの成長を僕たちが遂げようとすると、こんな成長速度では間に合いません。
【バガボンドを勝手に読み解く:連載目次】より

僕たちがどれほど成長できたのかの振り返りは1か月後に行うとして、僕たちよりも一足先に1年という時間を過ごし、京都に舞い戻った武蔵について触れていきたいと思います。

大晦日の決戦

1年前、吉岡道場に殴り込み、吉岡清十郎に額を切り裂かれ、吉岡田七郎に袈裟懸けに斬られました。そして、伝七郎との「1年後にまた戦おう」との約束のために、京に舞い戻ってきたわけです。(ちなみに、武者修行の旅に出た武蔵は、その旅の途中で、伝七郎にも出会っています。)

約束をしたのは吉岡伝七郎ですが、武蔵は「天下無双」にしか興味がありません。すなわち、伝七郎の兄、吉岡の当主 清十郎です。しかし、1年前と同様、ひょうひょうと振る舞う清十郎は、街中で出会った武蔵の挑発を受け流して立ち去るのですが、実際には、「吉岡を守るため」に、こっそりと武蔵をつけ回し、その命を奪う機会をうかがっているのでした。狡猾なり、清十郎。

そして、大晦日の夜。何かを察したかのように、宿を発ち、洛北 蓮台寺野で野宿をしようと焚火をしている武蔵の背後に、清十郎が忍び寄ります。

武蔵に気づかれないように、背後から くない を投げつけますが、武蔵は野性の勘でそれを察知して飛びのきます。そして、正面から向き合った二人は、元旦の早朝に殺し合いを始めるわけです。

蓮台寺野の決戦

武蔵:清十郎殿 あんただったか 俺にまとわりついていた眼は

清十郎:大げさに斬り合いなどしなくてもすむように うしろから斬って済まそうと思ってたのに・・・

清十郎は、武蔵だけではなく、過去にも同様の「闇討ち」を仕掛けていたらしい、ということが分かります。その事実と、また急な来襲に多少の驚きは感じつつも、清十郎との会話の中で少しずつ平常心を取り戻した武蔵は、いよいよ決戦に入ります。

武蔵:年明け早々から斬り合いとは・・・ ふふ 相当斬り合いが好きみたいじゃねぇか

清十郎:好きだろ?

武蔵:大好きです

戦いの細かな描写は、原書を読んでいただくとして、1年前はコテンパンだった武蔵は、たった1年で互角かそれ以上の戦いを行うまでに成長していました。胤栄と石舟斎という二人の師、そして胤舜や宍戸梅軒といった好敵手との戦いを経て、「のびしろ」をしっかりと埋めきった武蔵は、吉岡清十郎を袈裟懸けに両断して勝利します。

刀が手から消えたかのような・・・

清十郎を両断(文字通り、真っ二つに切り分けます)した武蔵は、その瞬間、自分の手に握った刀が「なくなった」かのような錯覚を感じます。

清十郎の必殺の一撃「一の太刀」の「後の先」をとるために、全神経を集中した武蔵は、自分のよだれが垂れるのさえも気づきません。そして、清十郎が斬りかかろうと大上段に振りかぶった瞬間に合わせて、型から腰へと大刀を振り下ろすのですが、このとき、武蔵は、おそらく「腕の力で斬る」とか「体の捌きで斬る」とかいうことではなく、「刀が動くがままに斬り落とす」という動きをしていたのではないかと僕は思います。

戦いの前(正確には、襲われる前)に、武蔵は、戦いに入れ込む自分に気づき、渇を入れます。

遅いっ!! 硬い 人など斬れやせん!!
入れこむほど体は硬くなる 剣は遅くなる
腕ばかり動いて 剣は動かねえ

そうして、気負いを解き、体の力を抜いて振るう剣は、案山子を一刀両断にします。

この「無我の境地」あるいは「戦いに際しても平常のまま挑む」ということこそが、武蔵が1年間で得た大きな「力」なのではないでしょうか。

戦いへの疑問

京都に戻ってほどなく、吉岡清十郎と往来で出会った武蔵は、清十郎を挑発しました。

伝七郎を斬ったら当然兄貴が出てくるんだろ?

俺の的はあんただ 清十郎殿
吉岡じゃねえ
伝七郎とは一年前の約束を果たすだけだ

我慢ならねぇんだ・・・ 俺よりも 強いと思ってるだろう?
自分より強そうな奴を 一人一人倒したら 終い(しまい)には天下無双だろう
最後の一人になるまで斬り続けたら そいつが天下無双だろう

入れ込みまくり、ですね。その後、宿に入り、自分自身と語らう中で、「石舟斎に比べて、自分に足りなかったのは”人を斬りまくった年月”だ」と結論付けます。

「剣」の意味を考えすぎた 世の中の風潮に染まったか

(中略)

剣は剣 人を斬る為だけに作られた刃物 道具
あのジジイたちにあって俺に欠けているものは何か
やっとわかった

ただひたすらに人を斬りまくった年月

俺にはまだまだ足りんのだ

しかし、宿を発ち、蓮台寺野に向かう道すがら、入れ込んでいる自分に気づき、再度武蔵は考えます。「なにかがおかしい、間違っている」と。

戦いに臨むためにーーーその都度気持ちを入れ替えていた
さあ戦いだと 血を逆流させねばならんほど 入れ込んでたってことか 俺は

チッ 何かが間違ってる

じいさん達よ ひたすらに人を斬りまくる日々とは ただ闇雲に戦い 一か八かの勝負を生き延びることか
偶然の積み重ねでその全てに勝ち 生き延びることか

そんな道のはずがない

それでは続きはしない いずれ疲れ果てるときが来る
そしてつまらぬ奴に斬られて死ぬ

俺の剣は正しくなかったということになる

蓮台寺野で焚火を始めても、まだ、武蔵は考え続けます。

勝つべくして勝つ 誰が相手でも どんな場所でも
勝つべくして・・・勝つ
そうなるために人を斬りまくる日々がある

その境地まで達したら・・・

戦う前から勝っているなら・・・ あれ?
その時は・・・ 戦いそのものは必要なのか?

殺し合いの螺旋を永遠に進み続けるのか、あるいは、いつか、どこかで降りるのか。とても大きな問題ですね。これを考え始めたことが、今後の武蔵にとってとても大きな転換点となっていきます。

僕たちは、どのステージにいるのだろうか。

さて、翻って、僕たちは何と戦っているのでしょうか。そして、その戦いの旅に、入れ込みすぎてはいないでしょうか。

僕はブログを書いています(最近さぼってますけど)。これは「気負うと面白くない。文体が崩れる。」という傾向にあります。その延長線上にある、書籍の執筆も同様です。僕自身の書きたいテーマでなければ、やはり、面白くは書けません。(※近々、2冊目がでます。よろしくお願いします。)

あるいは、コンサルティングプロジェクトはどうでしょう。ここでも、気負うと失敗します。もちろん、プロなので、頂戴している対価の分は価値を出していると思うのですが、融通無碍というか、そういうレベルでの柔軟性が発揮できなくなることが多いです。

そして、経営となると・・・いやぁ・・・難しいですね。

武蔵の言うように「斬って斬って斬りまくる年月」が必要なんだろうなと僕も思います。ブログは1,000本以上書いてきて、書籍も2冊執筆させていただきました。文章を書くということについては、最低限のラインには達してるんじゃないかなと思ってます。コンサルティングも10年以上、延々とやり続けていますので、いろんなパターンで「僕のベストエフォート」の出し方が分かってきた部分はあります。

しかしながら、経営、となると、まだまだ手探り感が著しいですね。もうすぐ創業4年。しかし、弊社が高効率な「チーム」として確実に機能しはじめたのは、正直なところ直近の半年程度です。ぜんぜん斬りまくってないですね。窮地くぐってないですね。その先にある「戦わずして勝っている状態」になるためには、これからの半年・1年が勝負だなと思う次第です。武蔵、、、僕も頑張るよ。

おまけ:吉岡清十郎に関する考察

さて、上記で本論は終了したのですが、吉岡清十郎という人物について、少しだけ考察しておきたいと思います。

吉岡清十郎は、天びんに恵まれています。見た目もシュッとしていて、女性にも持てます。いわゆる天才で、剣を磨くために努力しているのかどうかもよくわかりません。何かというと色街へ出かけていき、朝まで戻ってきません。

しかし、今回の戦いで明らかになったのは、「吉岡を害さんとするものを、闇討ちしていた」ということです。色街に出る、と言い、まぁ、実際に大半は遊んでいたのだと思うのですが、その姿を上手くカモフラージュに使って、吉岡を守っていた(ある意味では、伝七郎を守っていた)のです。

普段、道場を守っているのは、吉岡伝七郎です。伝七郎よりも強い敵が道場破りに来た場合、伝七郎がケガをしたり、殺されたりすることは十分に起こりえます。そうならないように、未然に敵を葬っていたというわけです。

1年前に武蔵と対峙したとき、清十郎は言いました。

獣は敵に会うとうなり声をあげ おそろしいカオで吠える
なぜかわかるかい?
ひき退がってくれれば 戦いを避けられるからだ
本能はまず 戦いを避ける

今回、往来で武蔵に出会ったときには、こんなことを言っています。

さらに剣名を上げたいのなら 吉岡につっかかっても効果はないよ
時代は柳生さ 吉岡なんて もう古いさ

また、道場で稽古に励む伝七郎には、こんなことを。

一年間の時間を設けるとは愚かだな 伝七郎
吉岡家に生まれ育ったお前と
山から下りてきたばかりの獣同然だった武蔵

まだ磨かれていない部分が多く残されているのはどっちだ?

なぜあのとき 出火に乗じてくびり殺してしまわなかった
ではまた次の機会になどと

処女(おとめ)のように暢気(のんき)だな

また、武蔵と旧知の仲である色街の朱美には、武蔵を篭絡できないか、と冗談めかしながらも持ち掛けます。

武蔵を溺れさせること できるか

冗談だよ

それと同時に、朱美に対して、弟への愛情も語ります。

弟が もしも腕を斬られたとしたらーーー 俺の腕をもがれたように痛む
兄を越えようと必死で努力してる弟ならなおさらーーー

そして、蓮台寺野で背後から襲ったときには、先述した通り

大げさに斬り合いなどしなくてもすむように うしろから斬って済まそうと思ってたのに・・・

とひとりごちます。

彼は、無用な戦いを回避することと、戦うならば必勝の策を練ることに心血を注いでいます。そして、それはすべて、伝七郎をかわいがり、また、吉岡道場を守るための方策だったのです。

武蔵に斬られる瞬間、清十郎は、門下生たちの顔を思い浮かべます。

刹那の逡巡ーーー 頭をかすめたのは背負ったものの重さ
吉岡清十郎 蓮台寺野に散る

バガボンドを彩る、魅力的な登場人物たちの中でも、吉岡清十郎は非常に大きなインパクトをもっていたな、と僕は思います。彼は、努力を知らない天才と見えつつ、おそらくは、陰で研鑽を積み、その才を磨き続けていたのではないでしょうか。

そして、好敵手を葬った武蔵は、後日、一人で思うのでした。

吉岡清十郎を倒したんだ
もう少し嬉しいかなと思っていたけどな

 

 

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