ネオテニーの日本人|馬場正博の「ご隠居の視点」【寄稿】

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多様性を保ったまま大人になる

アメリカのバーでアルコールを注文すると、年齢を証明するIDカードの提示を求められることがあります。外国人はパスポートとか国際免許証を見せればよいのですが、うっかり忘れるとアルコールを飲めないこともあります。日本人は若く見られることが多く、20代どころか人によると30代でもパスポートを携帯していないと酒も飲めないということになりかねません。

人種を大雑把に、白色人種(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)、黒色人種(ネグロイド)に分けることがありますが(オーストラリア原住民のオーストロイド、アメリカ原住民を加えることもあります。いずれにせよ厳密な概念ではありません)、日本人を含むモンゴロイドは一般にコーカソイドなどと比べて次のような特徴があります。

  1. 顔が扁平で丸く鼻が低い
  2. 体毛が薄い
  3. 手足が短く、胴が長い
  4. 全体に小づくり

これらは日本人でも、大人より子供により強く見られる特色です。つまり、モンゴロイドが若く見られるのは、モンゴロイドが幼児の外見をコーカソイドより多く残しているからです。日本人でも、アメリカ人でも若々しく見られるのは良いことですが、子供っぽく見られるのはあまり嬉しいことではありません。ビールを飲むたびにパスポートを取り出さなければならないことに、うんざりした日本人は多いでしょう。

幼形成熟すなわちネオテニ―

生物の世界では、幼生の外見のままで性的に成熟する、つまり子孫を作る能力を持つ現象を幼形成熟-ネオテニーといいます。たとえば、両生類はオタマジャクシがカエルになるように変態を行うのが普通なのですが、アホロートルというサンショウウオの一種はエラ呼吸をしたまま成長し繁殖も行います。

ネオトニーは、体や脳の発達が遅れる一方、器官の特殊化や機能の固定が遅れるので、多様な環境に対応しやすくなることで生物の進化で重要な役割を演じることがあると言われています。その中で、人間はチンパンジーのネオテニーだという説があります。人間とチンパンジーの祖先は7百万年ほど前に分離したのですが、確かに人間はチンパンジーの幼児の特徴を多く備えています。

チンパンジーの脳は1年で成長を止めてしまいますが、人間の脳は20歳過ぎまで成長を続けます。人間は脳つまり頭部が大きいので、哺乳類で人間だけが難産の苦しみを耐えなければならないのですが、そのためチンパンジーや他の哺乳類と比べて、人間は未熟児の状態で生まれます。そして、外見上チンパンジーの幼児の段階にとどまったままで、ゆっくりと成長を行うのです。

モンゴロイドは若く見られるということで、人種差別的に精神年齢も未熟だと言われたことがあります。第2次大戦後、日本を占領した占領軍の総司令官マッカサー元帥は「日本人は12歳」と言いました。この言葉は日本人にかなり深い屈辱感を与え、いまだに引用されることも多いのですが、マッカサーも日本人が外見上若く見えることがなければ、精神年齢が12歳などとは言わなかったでしょう。

モンゴロイドがネオテニー的な特徴を持っているからといって、精神年齢が遅れているとか、逆に人間がチンパンジーと比べはるかに知的に進化しているように、コーカソイドから分離して新たな進化の道を歩んでいるわけではありません。モンゴロイドの若く見られがちな外見上の特徴はネオテニーではなく、氷河期の極寒で凍傷を防ぐために、鼻が低く手足が短くなり、凍結を防ぐように体毛が薄くなったことなどが原因だと言われています。ただ、同じようにヨーロッパの極寒に耐えなければならなかったコーカソイドの鼻が高く、手足が長いこととは矛盾します。コーカソイドの高い鼻は冷気が直接肺に流れ込むのを緩和する効果があると考えられています。

同じ氷河期の極寒といっても、モンゴロイドは寒風の吹きすさぶ広野に生息し、コーカソイドはより緯度が高く日照が少ない土地で、洞窟を主たる住居にしたということが関係しているのかもしれません。モンゴロイドの細い目は、雪の反射から目を守るためだったと考えられていますが、このような特徴はヨーロッパの山地ではあまり必要がなかったのでしょう。

結局モンゴロイドもコーカソイドも氷河期を生き延びたわけですから、外見上の違いはかつてのプラズマTVと液晶TVのように、同じ目的に違った解があるということなのかもしれません。いずれにせよ、モンゴロイド、コーカソイドの外見上の特徴はネオテニーなどとは無関係な進化上の適応と考えられます。

男は精神的ネオテニーなのか?

モンゴロイドの精神年齢が遅れているというのは根拠のない偏見ですが、女は外見的なネオテニー、男は精神的なネオテニーという説は、あながち否定できません。女性が肉体的に幼形を多く残しているのは事実で、男性と比べ体毛は薄く、体も小さくゴツゴツしていません。

アニメの吹き替えで少年の声を女性が担当するのは普通です。昔のシェークスピア劇では風紀上の問題で、女の役は少年が演じていました。シェークスピア劇で女の台詞が少なく、性格的にも男性と比べ平板なのは、少年が演じることを前提にしてからだと言われています。外見上は肉体的に女性が子供に近いのは確かです。

肉体的特徴以外でも男性より女性の方が泣きやすいのも事実です。他の動物は類人猿も含め、涙を流して泣くことで何かを訴えるようなことはしません。人間の赤ん坊は、人間に体毛が乏しく、チンパンジーの赤ん坊のように毛につかまって母親に密着することができないため、注意を喚起させるために泣くようになったという説があります。ただ、女性が感情表現のために泣くことが多いのは、赤ん坊のコミュニケーション手段をネオテニー的に保持しているからというより、感情と論理を司る右脳と左脳の連携が男性より密なために論理的理解と感情的反応がつながりやすいからだという説明の方が正しいようです。

逆に男が女より精神的に幼稚だということもよく指摘されます。肉体的な外見と比べ、精神的な成熟度を明確に示すことは難しく、文化的には「女、子供」とまとめてしまったりして、女性の精神年齢を低く見る場合もあります。しかし、「高校生がオナラに火をつける実験をして火傷した」などと聞けば、その高校生は九分九厘男子生徒でしょう。女は高校生でも精神的には男よりはるかに大人と考えるのは妥当に思えます。

雄が雌より大きく、筋力が強くなるのは雄が雌の獲得で争うために現れる一般的な傾向です。この傾向は一夫一婦的な夫婦関係を持つ種より、一夫多妻的な夫婦関係を構築する種でより顕著に現れます。ゴリラの雄はいわゆるハーレムを形成しグループの雌を全て独占してしまいますが、ゴリラの雄は雌の2倍もあります。人間はゴリラのようなハーレムを作ることはあまりなく、太古から一夫一婦制を基本にしてきたのですが、肉体的に強い男は、生活力、戦闘力が高いので女を引き付ける上で有利だったことは間違いないでしょう。配偶者の選択つまり、性選択の過程で、人間の男はゴリラほどではなくても、肉体的な特徴を強めてきたと考えられます。

筋肉を増強させるテストステロン(男性ホルモン)はヒゲを濃くする働きもあります。テストステロンの分泌の優れた遺伝子を持つ男性の子孫が性選択に勝って、より沢山の子孫を残すことで、一層男性的特徴を強めていったと考えられます。それでは男に精神的な幼稚さがあるとすると、それは何によるのでしょうか。男の精神年齢が低いことを「男はいつまでも少年の心を持っている」などといって、肯定的に評価する場合もありますが、乱暴、無鉄砲、いたずら好きなどの男性に多く見られる幼児性は、生存競争を生き抜く上で、それほど有利に働くとも思えません。

粗暴さはテストステロンの効果としても現れるので、ヒゲの濃さと同様に、肉体的な強さの付属物として乱暴さが残ってしまったのかもしれません。ただ、男の肉体的な特徴が性選択の中で強められたのと同じように、女は子供を育てる必要性から慎重さや計画性がより多く求められることで、精神的な成熟を高めていったと考えるほうが妥当かもしれません。

人間は大きな脳を持つために、未熟児として生まれてしまう代償として、他の哺乳類より、はるかに長く親の庇護で育てられる必要があります。1歳にもなればチンパンジーの子供はアリを捕まえて食べたり、一人で生きていく能力を身に付けていきます。これに対し人間がその段階に達するには何年もかかります。人間の女は長い間の保育にコミットする必要から、配偶者の選択でも男よりはるかに慎重ですし、毎日の生活でも計画性が必要です。男は狩りに出て獲物を獲ればよいのですが、女は男が狩りに出ている間も、自分と子供の分の食料を確保する必要があります。

男はやたら慎重であったり計画的であるより、外敵や獲物に勇敢に突撃する能力が先ず要求されたはずです。臆病に危険なものを避け続ければ、自分自身の生存確率は高くなりますが、女性に好まれるという点では不利だったのでしょう。現代でも女は臆病な男性より勇敢な男性を好むようです。男は精神的に、女は肉体的にネオテニーのように見えるのは、性選択や生存の必要性から、男が筋肉の強さを、女が慎重さと計画性という特徴を発達させてきた結果でしょう。そもそも、男の精神的な幼稚さが、一般的なネオテニーに見られる、環境への適応性やある種の能力向上(たとえば人間の知能)に役立ってはいません。思慮の不足から強敵に立ち向かって死んでしまうことが多くても、首尾よく生き残れば女性に選ばれる確率が高まる。そのような理由で、男は大人から見れば幼稚とも思える勇敢さを温存してきたのでしょう。

日本人は文化的ネオテニーと言う推察

進化生物学的に考えれば、モンゴロイドが若く見られたり、男が精神的に幼稚だったりするのは、ネオテニーではなく、環境への適応や性選択の結果と考えた方が妥当です。しかし、生物学的な意味でのネオテニーではなくても、最近の日本人は文化的にはネオテニーの現象が見られます。日本人の若者が社会に出る時期はますます遅くなってきています。これは高学歴化という理由が一番なのでしょうが、少子化で親が子を養う能力が相対的に高くなってきたことも原因でしょう。ともあれ、社会に出るのが遅くなる、モラトリアム世代とかニートと呼ばれる状況は、両生類がオタマジャクシの段階のままでとどまっているのと文化的には同じような現象です。

このような考えは単なるこじつけと思う人もいるかもしれません。しかし、文化的ネオテニーという考え方は単なる比喩以上の意味があります。生物のネオテニーは、成長を遅らせることで、環境への適応の多様性を得ることができます。これに対しニートの若者は、何になるべきかがわからず、「自分探し」を求めます。昔は、「自分探し」などしなくても、社会人になることで、強制的に何らかの枠組みにはめられてしまったのが、今は多様性を残したままで大人になれるのです。これでは、「自分探し」が必要になるのは仕方のないことです。次回は、この文化的ネオテニーについてもっと考えてみたいと思います。

 

(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)


馬場 正博 (ばば まさひろ)

経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。

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