ギックスの本棚/幸福論 propos sur le bonheur (アラン著/村井章子 訳/日経BP)

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己を「コントロール」しよう

本日は、新たに翻訳された「幸福論」をご紹介します。

余談:幸福論というと・・・

哲学界隈で「幸福論」というと、このアラン、と、ヒルティ、ラッセルの3人が書いたものが三大幸福論になるみたいですね。(出所:wikipedia

ちなみに僕はこれまで37年生きてきて、これら「三大幸福論」をひとつも読んだことが無く、「幸福論」と言われると椎名林檎か寺山修二か、という感じなのですが皆さんはどうでしょうか?

本書の構成

本書は、93編の短いエッセイ形式です。それぞれは、3ページ程度です。

訳者の村井氏のあとがきによると、これはプロポ(propos)と呼ばれる形式で、「断章」「語録」などと訳されるものだそうです。新聞の連載用に、便箋二枚に書いたもので、その総数は5千編を超えるとか。その中から「幸福」というテーマに関連するものを選んだのが、この「幸福についてのプロポ=propos sur le bonheur」です。

特徴としては、年代順に並べたわけではなく、おおまかな題材毎に纏められていることですね。また、幸福論の他に、芸術・文学・宗教・教育などのテーマごとに プロポが編集されて出版されているとのことです。

また、今回の新訳版のベースは、2012年に日経ビジネスオンラインで連載されたものを本に纏めたとのことです。つまり、普段、哲学に触れていないビジネスパーソン向けに分かりやすく書かれている、ということになります。

ちなみに、93編×3ページなら、300ページくらいで収まるはずなのですが、本書は600ページあります。イメージで言うと、コロコロとかボンボンとかですね。サイズ感も丁度そんな感じです。(重さは、ちょっと重いかも)

なぜ、そんなに分厚いのか。それは、挿絵が挿入されているからです。見出しと挿絵で3ページ使いますので、6ページ×93編 + 前書き+あとがき ということで、600ページになるわけですね。

本書の読み方

本書の読み方は、表紙カバーの折り返し部分に書かれています。

のびをして、あくびをして、気の向くまま、偶然開いたページを読みはじめてみてください。複雑にこんがらがって見えた困難や悩みが形をかえたり、目の前の景色が違って見えたりするかもしれません。

以前ご紹介したひらめきスイッチ大全と同じですね。パッと開いて、サッと読む。

ただ、ひらめきスイッチ大全が「発想法」ということで「外向けのアウトプット」を生み出すためのTips集であるのに対して、これは「幸福」という「自分自身との対話」を促すための示唆が提供されるというのが大きな違いです。

こういう類の本は、僕は「トイレに置いておいて、気が向いた時にぱらぱら眺める」というのがオススメです。(関連記事:ギックスの本棚/書くことについて(スティーブン・キング著)

とにかく、買ってみたらいいと思うの。

幸福とは何か、については、ぼくの薄っぺらい解釈よりも、皆さん自身が本書を手に取ってご一読いただくのが良いかと思います。先ほどご説明した通り、本書はそもそも時系列に並んでいない独立したエッセーを束ねたものですから、どの順番で読んでも大丈夫です。前後のつながりなどは気にする必要はありません。

お値段は1,800円+税=1,944円ですが、93編という事を考えると、1編20円程度です。リーズナブルだと思います。

また、本としての質感も良いです。(先日ご紹介した 紙つなげ!彼らが本の紙を造っている ~再生・日本製紙石巻工場~ の影響かもしれませんが、開きやすく、手触りも良いなぁ、などと感じてしまいます。)

というわけで、いつもは文末に置いているAmazonへのリンクを、こちらに貼っておきますね。買っちゃえばイイよ。

幸福論(アラン/日経BP)

 

以下、おまけ

ここまでで「一般的な書籍紹介」としては十分なのかもしれませんが、少し蛇足を。ここからは僕の薄っぺらい解釈論となります。お目汚し恐縮。

幸せってなんだろう

本書を読んでいると、幸せに生きるためには、感情のコントロールが重要だ、ということを強く感じます。

例えば「苦痛」について語られる「13.事故」では、想像上の苦痛は、なんどもなんども繰り返されるが、実際の苦痛は一瞬で終わってしまうことを例に挙げて、苦痛を想像することの愚かしさが説かれます。

また、「36.家庭生活」「37.夫婦」などでは、感情のコントロールを上手く行うことで、家庭はうまくいくものであり、そのためには「ルール・取り決め」が重要だと説かれます。

つまり、不幸を招くのは、自分自身に他ならない、とアランは言っているわけですね。

敵 ってなんだ?

僕が非常に感銘を受けたのは、この一節です。

たいていの人は自分には敵がいると考えているが、これはそう思い込んでいるだけである。敵が出現するほど首尾一貫した言動を取っている人は、めったにいない。実際には、友をつくる以上に熱心に敵をつくっているのである。この男はこちらに悪意を持っている、などとあなたは考える。そんなことがあったとしても、相手はとうに忘れているのに、あなたは忘れない。それが顔に出るものだから、相手も敵意を持たねばと思ってっしまう。そもそも人間には自分自身以外の敵はほとんどいない。臆断や悲観や絶望によって、また自信を失わせるような言葉を自分に投げかけることによって、人は自分の敵になる。
(67.汝自らを知れ)

B’zの「Pleasure」みたいな話ですね。

勝手知ったる少ない仲間と敵だ味方だと騒いでる

って奴ですか。

結局のところ、自分自信を正しく理解し、うまくコントロールすることが重要なのでしょうね。

憎悪ではなく愛を

そして、その一つの打開策として、僕が実際に実践していきたいと感じているのがコチラです。

デカルトは、愛と言う情念は健康によく、憎悪は健康に悪いと言っている。この考えはよく知られているが、根付いているとはいえない。(中略)

人間も、行動も、仕事も、愛によってすることと憎しみによってすることが入り混じっている。その混沌の中から、美しいモノ、愛すべきものだけをいつも選び出し、憎しみからやっていたことをやめて愛によってするようにしたら、どうだろう。それは、大きな進歩と言えるだろうし、悪しきものを追いやる強力な手段にもなるはずだ。具体的には、悪い演奏をやじるよりも、よい演奏に拍手喝采する方がずっといいし、ずっと正しいし、ずっと効果的である。
(76.人生最初の愛の賛歌)

というわけで、早速今日から、北斗の拳のケンシロウ並みに、愛に生きていきたいと思います。汝、隣人を愛せよ。

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