第四戦:vs 青木の部下 (第2巻より):あなたは覚悟を決めているか?|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

覚悟なきものは、戦にでるべからず

この連載では、バガボンドの主人公、宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第4回の今回は、宮本村に戻る途中で働いた乱暴狼藉の報いとして武蔵を追ってきた「青木」とその部下との戦いです。

バガボンド(2)(モーニングKC)

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奇襲にも動じない臨戦態勢

前回、辻風組の残党を撃破した武蔵(たけぞう)は、その後、一人で宮本村に戻ります。又八が生きていることを、又八の母に伝えようという気持ちでの帰郷ですが、そううまくはいかず、又八の母を含む村人全員から目の敵にされます。さらには、戻る途中の関所で侍を打ち殺してしまい、その追手も差し向けられます。

今回は、その追手のリーダーである「青木」と、その部下との戦いです。

風呂に入っているところを襲われるが動じない

又八の母である「本位田のおばば」の策略により、風呂に入っているところを10名ほどの侍と、さらに10名以上の竹やりで武装した村人に囲まれます。

囲まれたと気づいた武蔵は、自ら木刀を手に全裸で飛び出します。そして、その木刀で一番近い侍を一撃で屠り、こう吠えます。

腰抜けども 俺を殺す気で来やがれ

もっとも 俺を殺す気なら 殺すぞ

この台詞、第一戦でもでてきましたね。「殺す気ならば、殺す」。つまり、「覚悟を決めてかかってこい」「しかし、来るなら容赦しない」という意気のあらわれです。ここには、大勢に囲まれて不利だとか、命乞いをしてこの場をやり過ごそうとか、そういう腰の引けた気持ちは全くありません。ここにあるのは、圧倒的にポジティブな闘志のみです。

そのまま木刀で侍どもをなぎ倒していく武蔵を見ながら、追手のリーダーである青木はこう呟きます

暴れて抵抗して 傲岸不遜! 新免武蔵 気に入った!

自分が生き永らえるために他人の命は無情にもあっさり奪う! 何のためらいもなく平然と!
強い! 何という剛力!

だがこの状況ーー いずれ力尽きるのは必定 この不遜な若造も 死が間際に迫ったと知ったらーー
己の死が確実に すぐそこに来たのだと悟った瞬間にはーー 恐怖に凍る!!

その顔を見るのはたまらんぞ!!

が、その直後、侍どもを打倒して、武蔵が青木の眼前に飛び込んできます。ここで、青木が「己の死が確実にすぐそこに来たのだと悟り、その顔が恐怖に凍る」わけです。青木に覚悟がないことは、後に沢庵和尚とのやり取りでも明らかになりますが、こういう「多勢に無勢で押し切ればいい」とか「自分はリーダーで高みの見物」とかいう思想の人は、現実世界でも沢山います。(人数に限らず、資金力などでも同じことですよ。)僕もそうならないように気をつけたいものだと思いますね。

さて、そうして青木を殴り倒した武蔵は、村人からも攻撃され、さらには「悪鬼」と呼ばれます。しかし、武蔵は、その呼称に対して

悪鬼 気に入った

と不敵な笑みを浮かべて呟き、闇に走り去ります。

反面教師から学べ

この戦いでは、大きく2つのことに着目したいと思います。ひとつめは、覚悟を決めないで戦うことの愚かさで、ふたつめは、自己中心的なモノの考え方の浅ましさです。

 覚悟のススメ

覚悟のススメという漫画があります。あの漫画の凄さを語り始めたら、それはそれでまた連載になってしまうと思うので、ここでは語りませんが、僕がここで言いたいのは「覚悟を決めるって、とても大事だよ」ということです。先ほども述べた通り、青木は覚悟がありません。また、青木の部下たちも、多勢であることに慢心し、覚悟が決まっていません。一方の武蔵は、覚悟を決めています。「俺を殺す気なら、殺してやる」というのは、覚悟の表れです。

覚悟を決める、というのは、他の言い方をすれば「腹をくくる」とか「肚を決める」ということになります。この道を行く、と決めることです。これは、なかなかに難しいことです。僕たちの日々の生活において、戦に赴くということはそうそうあるものではありませんが、スポーツ大会や、仕事などにおいて「覚悟を決めるべきタイミング」に遭遇することはあるでしょう。仕事でいえば、

  • このプレゼンを絶対に成功させる
  • この契約を必ず取る
  • 上司を説得し、プロジェクト推進の承認を勝ち取る

といったところでしょうか。あるいは、「この会社で3年間、価値を出し続ける」というようなものでも良いかもしれません。

多くの人は、こういうことを自分の責任で決めることができません。「とりあえず、やってみる」とか「できるだけ頑張ってみる」という位置づけに留め、失敗しても”誰かのせい”にしがちです。

確かに、覚悟を決めるということは、大きな責任を伴うことが多く、腰が引けてしまうのも分かります。しかしながら、ひとたび覚悟を決めれば、道は拓けます。また、覚悟を決めずに物事が上手く進んだとしても、それは再現性の低い成功となり、己の糧にはなりません。

物事を自分の力で前に進めようと思うならば、武蔵のように「覚悟を決める」ということがとても重要です。

他人の命は大事だが、武蔵の命は重要じゃない?

ふたつめのポイントである「自己中心的なモノの考え方の浅ましさ」ですが、これは、武蔵の話ではなく「村人」の話です。

又八の母である「本位田のおばば」は、自分の信じたいことしか信じません。武蔵が又八をそそのかして戦につれていったと信じ込み、又八が女と暮らすために逃げたというのは武蔵の嘘と決め込みます。その一方で、又八が生きているということだけは都合よく信じます。そして、その情報を持ってきた武蔵を「村の疫病神」として罠にはめて殺そうとします。

また、他の村人たちも、武蔵に対して、信じられないことを言います。

おぬし 人の命を何と思っておる この鬼畜め

そうじゃ 松じいのいう通り 外へ出て恥をさらす前に ここで死ねっ!!

そうだ!! くたばれこの獣め!!

武蔵が望んだ戦いではなく、武蔵にしてみれば降りかかった火の粉を払ったに過ぎないこの戦いにおいて「抵抗しないで死ね」と言うわけです。(まぁ、火種を巻いたのは武蔵だ、というのも事実ですが、村人を巻き込んだのは武蔵が望んだことではありません。)

これは、自分の価値観こそが正義、というありがちな「自己中心主義」です。もちろん気持ちは分かりますよ。農民にとって、お侍様は正義ですし、昔から乱暴者として厄介者扱いされていた武蔵=悪という認識は、そう簡単には変わりません。

これは企業の例でいえば、企業が新商品/新サービス開発に力を注ぎたい、という際に、自分の部署のエースを出せない/出したくない、というのに似ています。もちろん、人材を出す側の立場にしてみれば、既存事業だって大事だし、その人材を放出すると色々な弊害があるというのは当たり前です。しかし、だからといって、新商品/新サービスの開発が頓挫してもいい、ということにはなりません。

世の中には、どちらかが完全に正しいという状況はまずありません。相互に「理」があるのが普通です。己の「理」だけでなく、相手の「理」をしっかりと理解した上で立ち位置を決めないと、客観的に見るとおかしな主張をしていることになりかねません。(政治の話を例にとると分かりやすいのでしょうが、敢えて触れません。よしなにご想像ください。)

青木やその部下達、そして、村人たちのような「覚悟のない人間」「自分の理だけしか見えない人間」にならないように気を付けて、2016年を生きていきたいと思います。

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