【”考え方”を考える】MECEにこだわらない ~敢えて、ダブりやモレを許容する~

AUTHOR :  田中 耕比古

伝家の宝刀は、”包丁”のようには使えない

MECEであることは、非常に重要です。MECEに砕けない、という人は、コンサルを名乗ってはいけないくらい当然のスキルです。

しかし「MECEに砕くことができる」という人が、敢えてMECEから逸脱してみる、ということもあります。本日はそのあたりにフォーカスをあててみたいと思います。

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MECEって何の略か言えます?

ちなみに、MECEって何の略か、正確に言えますか。

Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive の略で、「相互に排他的な項目」による「完全な全体集合」という意味です。そんなの世間の常識ですよね。
Google先生とWikipedia博士に感謝する人生ですね。ありがとう、インターネットさん。

つまりは「モレなし、ダブりなし」という奴になるわけです。

なんでも斬れる日本刀 で 刺身は作らない

これは、伝家の宝刀みたいに思われていまして、コンサルは、なんでもMECEに砕く!って思っている人が多いのではないかと思うのですが、正直、そうとも限らないなーと思っています。

というのも、世の中、モレちゃだめなケースは非常に多いのですが、ダブっちゃダメなケースって、実はあんまり無いのです。

日常生活で考えてみると

例えば、日常生活で、晩ご飯を食べにいこう!という時に「和、洋、中、アジア系、カレー、ラーメン、ハンバーガー どれ?」と聞いたとしましょう。別に違和感は感じないと思いますが、全然MECEじゃないですよね。

ダブりの視点だと、「和と中はアジアの一部」「カレーって、和かアジアか微妙」「ラーメンは和か中か微妙」「ハンバーガーは洋」みたいなことを考えたくなります。

モレの視点だと、「和=日本食?カレーとラーメンが切り出されてる時点で、和=伝統的日本料理(刺身、天麩羅、懐石等)だろうから、牛丼や焼肉は漏れているのでは?」とか思います。

では、これで困るのか?というと、特に困りません。それは何故か。

意思決定においては「モレない」ことが重要

実は、”意思決定”をしたい時には、「必要な選択肢が漏れていない事」が非常に重要なのですが、それがダブっているかどうかは、さして重要ではないのです。『ダブっててもいいから、(選びたい範囲のものは)モレないようにする。』これを念頭において考える方が現実的な「いい考え方」だと僕は思います。

仕事上の資料をまとめる、と言うような場合に「MECEもレベル感もガン無視してみました!」というのはさすがに如何なものかとは思いますが、だからといって、多少レベル感が違う、ということで「なんか気持ち悪い」となる人は世の中の3%くらいだと思います。(レベル感の違いに気づく人は7%くらいはいるかもしれませんが)

特に事業会社などで実務に勤しむ方は、そういう「意思決定にそれほど影響を与えない部分」に力を注ぐよりは、とにかくKJ法的に、ガンガン具体的な「アイデア」を出しまくってから、それを「MECEっぽく」整理して、モレてる部分を埋める、というくらいが丁度良いんじゃないかと思います。

その結果として資料は、その「モレ」を埋めた「MECEっぽい」建て付けになってさえいれば、多少ダブってても、9割の人は、別に気にしません。リソースをどこに注力するか、と言うコトを見極めることが重要です。

完全に穴を埋める必要があるか

また、モレも大した問題ではありません。もう少し正確に言うと「意思決定上、重要でないことに関して”モレ”を完璧に潰すために時間と工数を浪費するのは無駄」です。

例えば、コスト削減の施策を考えるとき、「小さなコストを50%削るよりも、大きなコストを5%下げる方が効果が大きい」という鉄則があります。その際に、小さなコスト費目まで全て綿密に調査し、施策を考える必要があるかと言うと、答えはNoです。明らかに大きいコストを探し、まずはそこから着手することが重要で、残りはMECEの禁じ手「その他」ボックスに放り込んでおけば実務上はOKです。(ただし、どのコスト費目が本当に大きいのかを見極めることが困難である、というようなケースでは、最初に各費目をMECEに分類して再集計し「真の大きなコスト」を炙り出す必要があります)

完璧を求めることは、無尽蔵に労力を費やす、ということを意味します。もちろん、コンサルタントはそれが仕事であり、それが価値ですので、徹底的にこだわるべきです。「徹底的に考え抜く」ことを怠ってはいけません。しかし、事業会社においては「考えていればそれでよい」という事にはなりません。効率的に作業を進めていくことが非常に重要です。

”現実的”に考える、ということ

某外資系ファームの本社で行われる研修で、外国籍のコンサルタントとディスカッションをしながらイシューツリーを書いたところ、衝撃を受けました。(僕の英語力の無さにも衝撃を受けましたが・・・)

イシューツリーを書く、ということは僕にとって(あるいは、少なくとも僕の周辺に生息する戦略コンサルタントにとって)施策を導き出すための1ステップです。ですので、イシューツリーを書く時点で「施策」に落とすことを意識して、理想的な”砕き方”を考えます。そして、その際、MECEであることも重視します。

しかし、外国籍のコンサルタント(その研修では主に米国人でした)は「行き当たりばったりにザクザク砕く」のです。そして、MECEというよりも「モレなし」ということに特化して(レベル感も無視して)ガシガシ砕いていきます。途中、若手メンバーが何か言うと「That’s good point.」とかいって、なんか適当な場所に書き加えていきます。

僕ともう一人の日本人コンサルタントは「え、そんな課題、絶対に施策に結びつかないじゃん」とか「いやいや、レベル感ぐちゃぐちゃやん」とか「それ、二つ上に書いてる課題とダブってるし」とか思っていろいろ反論もするものの、まったく伝わらないというか、「は?なにいってんの、この極東の猿は。」くらいの感じで話が進んでいきました。(いや、冗談です。誓って、彼らにそういう差別意識はありませんでした。ただ、通じなかったのです。)

そして、まったく通じないからと諦めて傍観者となり、イシューツリーが完成した後に、やっと彼らの目指すものが理解できました。

彼らは、今つくったツリーに対して「これと、これと、これは、同じことだね」「これは、あまり重要じゃないから無視ね」「あと、これも施策に結びつかないから無視だね」と、バツ印やらマル印やらを付け始めました。

僕らにとって、イシューツリーはそれ自体が「美しい成果物」であることが前提でした。そして、そのイシューツリーからスムーズに「次なる美しい成果物」である施策のリストが出来上がるべきだと思っていました。しかし、米国人コンサルタントにとっては、別にそんなのどうでも良かったのです。要は「施策を出せばいい」と。

最大の違いは、彼らは非常に現実的に物事を進め、僕らは非常に理想を追い求めていた、ということです。

もちろん、いまでも「彼らの施策には穴がある」と思います。「僕らの方法論に基づけば、もっと良い施策を導き出せたはずだ」と。しかし、研修という枠組みで、限られた時間内で、バックグラウンドもバラバラのメンバーが集まって何かアウトプットを出さないといけない、という場合には、彼らのアプローチもあながち間違っていなかったな、と思います。

そして、なによりも、事業会社の方が物事を検討する際には、この「米国スタイル」の方がフィットするように思います。

最短距離を走ろう

物事を思考する、ということは、所詮はプロセスです。目指すべきゴールは、思考した結果に基づいて、何らかの「行動」を起こすことです。

その行動(要するに意思決定)を行うために重要なものが何かを見極めて、極端な”完璧”にこだわることなく、ゴールまでの最短距離を走ることが非常に重要だと僕は思います。

MECEを知らない・使いこなせない、よりは、知ってる・使いこなせる、方が良いのは自明ですが、「名刀を持っている」ということだけではただのコレクターで、「その名刀で斬るものを適切に選び、そして斬る」ということが達人の条件ですよね。

良い武器を手に入れ、その武器を磨き上げることに注力する傍ら、「使うべき場面」をキチンと見極めていくことが非常に重要です。

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