「日報」は読み返して初めて意味を持つ|”考え方”を考える

AUTHOR :  田中 耕比古

日報は形骸化する宿命を背負っている

先日、子育て奮闘中の友人と話していて「子供の成長記録をつけないとダメだ」という話になりました。つかまり立ちができるようになった。パパって言った。一つだけ選びなさい、という言葉を理解した。年下の子が泣いていたら頭を撫でていいこいいこした。お人形さんを寝かしつけようとして、添い寝してねんねねんねと声掛けをした。こういう”できるようになったこと”を記録しておかないと、いつ何ができるようになったか忘れてしまうんだよね、と。

これを聞いていて、子供の成長って早いよなーと感動すると同時に、仕事においても同じなんじゃないかなーと思っていました。何の話をしているのか。そう、日報の話です。

誰にも読まれない「日報」に意味はない。

世の中には「日報」というものがあります。知らない人は僥倖です。知ってる人はご愁傷様です。

日報を書くという行為は、びっくりするぐらい形骸化します。99.8%くらいの組織で「書けって言われたから書いている」となってしまいますし、それと同時に「書いたけど誰にも読まれていない」という状況にも至ります。悲しいけど、現実です。

入社直後の研修が明けて、晴れて配属となった新入社員の皆さんに「日報を書け」という指示が下ることもあるでしょう。もちろん、最初は先輩や上司がしっかり読んでくれます。「ああ、こいつ、こんなことやってるんだな」「なるほど、これで困ってるのか」って感じですね。しかし、1週間がたち、2週間が過ぎると、少しずつ読む人が減ります。そして、フィードバックも少なくなります。その空気を敏感に感じ取った新人さんも「日々、やることも多いし覚えなきゃいけないことも多いのに、なんでこんなことやってんだろう」と思い始めます。その結果、とってもおざなりな、定型文チックな雰囲気漂う日報が量産されていくことになります。

こういう状態で、取るべき選択肢は2つしかありません。

  1. 潔く、日報を書くのをやめる
  2. 心を入れ替えて、真面目に書き続ける

個人的には、ひとつめの「廃止」をお勧めしたい気持ちも強いです。無駄なことはやめた方が良いです。もっと生産的なことに時間を使いましょうと思います。ただ、慣習を壊すということは、理路整然と説明し、周囲を説得する必要があります。肚を決めて「こんな無駄なことやめましょう」と上司や先輩に言わないといけないので、無駄な軋轢を生んだりするリスクはあります。(まぁ、それでも、日報を書くのが本気で無駄だと思えば、新人時代の僕は突撃しちゃいそうですけどね。)

そんなこんなも踏まえると、とりあえず「折角書くんだから、真面目に書こう」というのも悪くない選択だと思います。ただ、とはいえ「誰にも読まれないのに・・・」って気持ちになるのも分かります。ええ。そりゃそうですよね。こんな零細ブログ書いてる僕が言うんだから間違いないです。読まれない文章を書いているほどむなしいものはないです。では、どうすればよいでしょうか。簡単です。自分で読めばいいんです。

日報は、未来の自分へのメッセージだ!

10年日記と言うものがあります。毎日、ちょっとずつ(ほんとに、数十文字程度の)日記を書いていくんですが、1ページが「月日」単位なんですね。つまり、5/1なら、今年の5/1の下の段に、来年の5/1に記入するわけです。もし、あなたが1年以上前に始めているなら、上の段には、すでの昨年の5/1の日記が書かれているということになります。

↓10年日記のイメージがつかない方は、こういうのだとご理解ください。(同様の仕組みの「5年日記」という商品もあるみたいですよ)

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僕は、起業して3ヶ月が経過した2013/4/1から10年日記を書き始めました。元来飽き性なので、1-2ヶ月ほどたつと、あんまり書かなくなっちゃいました。で、しばらくして思い直してまた書いて、数週間でちょっと忘れて、時々思い出したら書く・・・というような感じで進めていたんですね。で、ちょうど一年して2014年の4月になり、心機一転、再度書こうと思ってみると、そこには「1年前の自分」がいました。

起業した直後で、楽しさや喜びもある一方で、難しい問題に直面して悩んでいたりします。あるいは、プライベートで誰と飲みに行ったとか、どんなことを話したとか、そんな話もメモ書き程度ではありますが、当時の自分の生活がビビッドに浮かび上がりました。加えて「この喜びの気持ちを忘れているなんて・・・」と愕然としたり、「こんな低レベルなことで悩んでいるとは、なんと未熟!」と成長を実感したり、「これ、確かに困ったな。ひょっとしたらチームメンバーも同じようなことでスタックしてるんじゃないかな」という気付きを得たりすることもできました。

そうなんです。”過去の自分”は”今の自分”にとって、最良の教師なんですよ。

ということで、なかなか遠回りをしましたが、日報は「未来の自分が読むために」書くべきだと、僕は思うわけですね。

未来の自分に「届けるべき」3つのこと

では、具体的に”何”を書けば、未来の自分にとって実りある日報になるのでしょうか。僕は「課題(できなかったこと・困ったこと)」「成果(やったこと・成し遂げたこと)」「成長(できるようになったこと)」の3つだと思っています。

課題(できなかったこと・困ったこと)

まずは、ベタですが「課題」ですね。基本はこれです。何ができなかったのか。何が困ったのか。誰かに何かを指示されて、それを達成できなかったわけですから、明日はこれを解決する=できるようになることを目指すわけです。

これを振り返ることは、「自身が、当時、何に困っていたのか」を理解することになります。後で読み返したときに「今も同じことに困っている」という場合には、当時から前に進んていない、ということを意味します。ショックですけど、それが事実です。

反対に、なんでこんな簡単なことで悩んでたんだろう、みたいなケースも散見されます。まぁ、それはそれで、愛おしい気持になれます。笑

成果(やったこと・成し遂げたこと)

続いては「成果」です。別に、凄いことじゃなくても良いです。その日、1日(一般的には8時間)をかけて、何をやっていたのか、ということです。15社訪問したとか、100社にテレアポを試みたとか、そういうことかもしれません。あるいは、30万行のデータをAccessを使って集計して、顧客別の売上データを作った、とかかもしれません。格好良いことを書こうとしても、新人さんのうちは、与えられたタスクの性質もアリ、なかなかそうもいかないでしょう。そういう場合は、ただ、愚直に「できたこと」を書けばよいです。

一方で、業務内容が少しずつ複雑になり、高度な判断を要するようになると、「やったこと」ではなく「成し遂げたこと」に記述内容が変化してくると思います。「成し遂げた」という表現をする場合、大抵は、なんらかの目標を達成したことになると思います。

成し遂げたことを書こうとすると、1日や2日書く事が無い、という状況もあるでしょう。しかし、これが数週間に渡って空欄だということは、完全にスランプに落ち込んでいるわけです。人生長いので、スランプは必ず訪れます。読み返してみると、自分がスランプに陥りやすい季節がある、みたいなことが見えてきたりします。そうすると、スランプ対策も打てるようになります。

成長(できるようになったこと)

最後に「成長」です。これは、意外と見落とされがちなんですが、実は、超重要です。なぜならば「後進の指導に非常に役に立つから」です。仕事は、一人でやるものではありません(もちろん、例外はありますが)。ひとというのは勝手なもので、自分が出来るようになった後には、できない人がなぜできないのかを理解できなくなります。しかし、自分が新しく身に付けたスキルを明確に記録しておくと、その直前に感じていた「課題」や、それ以降に記録された「成果」を振り返ることによって、生々しく「できなかった時代」あるいは「できるようになった直後」のことを思い出すことができるハズです。

 

この3項目を必ず毎日網羅して書かねばならないわけではありませんが、これらが記録されていると、未来の自分にとって、非常に良いインプットになると思います。

読み直すタイミング

そうして記録した日報は、いつごろ読み返すのが良いでしょうか。

10年日記にならって1年後、と言いたいところですが、個人的には3ヶ月後がオススメです。このタイミングで、同じ課題をまだ抱えているようなら、3ヶ月前と今で成長していないということになるわけですね。まだ3ヶ月と見るか、もう3ヶ月と見るかは人によって見解が分かれるところかとは思いますが、3ヶ月経って1歩も前進していないようならば、6ヶ月後・1年後も推して知るべし、という感じですよね。中間チェックとして、3ヶ月くらいで軽く流し読みすることをお勧めします。

(強制されなくても)書き続けるコツ

上記のようなことを考えると、別に、上司や先輩に強制されなくても、書いちゃえばいいじゃん。と思うんですね。ただ、そういう場合には、書き続けることが困難です。だって、強制されてないんですもん。(笑

そんな”自発的な日報”を書き続けるコツは「完璧を目指さない」ことです。具体的には・・・

  • ちょっとだけで書けば良いのだ、と積極的にペンを取る(短くていいんです)
  • 書かない日があったからいって、罪悪感を抱かない(3日空いても、1週間空いても、別に良いんです)
  • 書かされてると思わない(未来の自分のために、書いてるんです)

ということですね。

最後の3つめは大事です。本稿の前半で述べた通り、誰も読んでない日報を書かされてるから、書きたくないわけですよ。でも、将来の自分の為だと思えば、少しは真面目に書く気にもなるってものです。物事は須らく、「何をするのか」ではなく「何のためにするのか」が大事なんですよね。やらされ感の強い無駄な仕事を、意味のある仕事に変化させることができれば、日々の会社員生活も創造性に満ち溢れた楽しいものになると思いますよ。折角なんで、楽しくやりましょう。楽しく。

(余談)テキストマイニングするって話もある

ちなみに、日報データをテキストマイニングする、という考え方もあります。

実は、ギックスは創業直後(2012年頃)には積極的にテキストマイニングのプロジェクトに取り組んでいました。勢い余って「ギックス総研」という名前でtwitter解析を行う中で、テレビドラマ「相棒」の分析をした結果「劇場版”相棒”の公式ファンブック」に採用されちゃったりもしました。

このマイニング技術を用いて、膨大なテキストデータを解析すれば、いろいろ見えてくることがあるのは間違いないです。日報データや、議事録データあたりは、正直なところ”宝の山”だと思っています。ただ、それもこれも「真面目に書かれている前提」なんですよね。現在のように形骸化した日報だと、解析した結果「真面目に書いていない人が大半でした」ということがわかるだけだと思います。いずれにしても、真面目に書かれればこそ、その情報に価値があるわけなんですよね。

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