第三十二戦:vs 吉岡伝七郎 ”決着”(第24-25巻より):時間は「結果の平等」を保証しない。|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

1日を365日積み重ねたものが、1年。

バガボンド(25)(モーニングKC)

この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第32回の今回は、(作中の)1年前に約束を果たすべく蓮華王院に出向いた武蔵と、吉岡伝七郎との戦いです。

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1年前の約束を果たすため

吉岡伝七郎と武蔵は1年前に相まみえています。この読み解き連載でいえば2016年2月公開の「第十一戦」、単行本では3巻のできごとです。(第十一戦を執筆した時点では、9ヶ月くらいで、伝七郎との再戦にたどり着くかなぁ…と思っていたのですが、20ヶ月くらいかかってますね。はい。)

1年前の吉岡道場では、火事によって救われ、命拾いをした武蔵。その時に伝七郎からかけられた言葉は

宮本 命を大事にせよ
そして もっと強くなった貴様が見たい

時間は誰にも平等だ 俺にも

いずれ必ず 貴様を殺す そのときまで生きていろ

というものでした。しかし、1年後(21巻)で、吉岡清十郎が 弟 伝七郎にかけた言葉は、伝七郎にとって屈辱的なものでした。

一年間の時間を設けるとは愚かだな 伝七郎
吉岡家に生まれ育ったお前と 山kら下りてきたばかりの獣同然だった武蔵
まだ磨かれていない部分が多く残されているのはどっちだ?

なぜあのとき 出火に乗じて くびり殺してしまわなかった

ではまた次の機会になどと
処女(おとめ)のように暢気(のんき)だな

そのように述べた、剣の実力は伝七郎よりも遥かに「上」である、兄 清十郎 も、既に武蔵との決闘に敗れ、この世にはいません。

この時点で、武蔵の実力は、伝七郎を凌駕しているであろうことは容易に推察されます。武蔵 = 清十郎 > 伝七郎 と考えれば自明ですね。また、柳生の里で、武蔵と伝七郎がすれ違った際も、剣術における”格”の違いが明らかでした。

その実力差は、武蔵にも、そしておそらく伝七郎にもわかっています。そんな状態で、争うことに意味があるのか? 武蔵は、そういう気持ちを抱えた状態で蓮華王院に現れます。そして、極めて自然体の、力が抜けた表情で、伝七郎に声を掛けます。

さて やりますか

自然体の武蔵と、気負う伝七郎

高弟の一人は言います。

何だ あれがあの武蔵か?
一年前に見せた 火のような殺気がまるで感じられん
何だあの間の抜けた顔は
若先生(注:清十郎)を倒して慢心したか!!
心を鍛えてこなかったと見える!!

戦う相手への敬意を欠いたとき そこにスキは生まれる
勝機 大いにあり!

しかし、伝七郎はまったく違う感想を抱きます。なんと、兄、吉岡清十郎の姿を重ねるのです。

この「ゆるさ」…
ゆるくはあるが 軽くはないのだ

何度も見てきた……!!

…………

ようやく納得できた 兄者は確かに―――
あの晩 確かに この男に斬られたのだ…………!!

この時点で、武蔵の強さ、そして恐ろしさは実感を伴ったものとして伝七郎にのしかかります。その恐怖心を振り払うかのように、伝七郎は抜刀し、上段に構え、気合の声をあげます。

しかし、武蔵は刀を抜きません。伝七郎の上段の構えを悠然と眺めながら、「切りかかってきたら、腹を横切りに裂く」。「こちらから間合いを潰して向かって行って、懐に飛び込んで左手にすれ違いざま小太刀で首を割く」あるいは「少し距離を残して大刀で首を斬る」、というようなことを冷静に、まるで他人事であるかのように ”想像” します。

その醸し出す空気に気味悪さを感じたのか、伝七郎は、相手に間合いを読まれにくい脇構えへと変化します。しかし、武蔵は動かず「長めの間合いから、伝七郎の左手を切り落とす」「左腰から背中にかけてを切り裂く」というような ”想像” を続けます。さらに、伝七郎が、八相の構え(左肩を前に出して、心臓を守りやすい)に転じると、「左の首を裂きつつ、体を右に流す」「正対したまま左手ごと鎖骨肋骨を縦一文字に切り裂く」と ”想像” します。

武蔵は、伝七郎を鏡として、自身の佩刀の声を聴いているにすぎません。そして、頭の中には、剣の「理(り)」の象徴である佐々木小次郎との(剣を通した)語らいが思い起こされます。

再度、伝七郎が最上段に構えなおした瞬間、武蔵は一気に間合いを詰め、先ほど ”想像” した通りに、「こちらから間合いを潰して向かって行って、懐に飛び込んで左手にすれ違いざま小太刀で首を割く」という動作を行います。刀を抜き忘れたままで。

自然体を究めると、なにがなんだかよくわからなくなる

刀を構えた伝七郎に、素手で体当たりをする形になった武蔵は、伝七郎に弾き飛ばされ(当たり前ですが)斬りかかられます。飛びのいて、その剣撃をかわした武蔵は、己が無刀であったことに驚きつつ、

軽すぎるとは思った
こりゃ失礼…

と、ようやく抜刀します。

戦う前から勝負は見えている

武蔵は、1年前を思い出します。冒頭で引用した「時間は誰にも平等だ」という伝七郎の言葉を思い出しながら、

同じ一年 わずか一年なのに―――
はるかな昔に仰ぎ見た相手のように見えるよ 伝七郎

お前とはもう 分かり合えない

と感じます。一年前の自分の至らなさ、気負いを振り返り、伝七郎に喫した敗北を語ります。そして、今の伝七郎では、自分には勝てないと伝え、この勝負をやめにしないか?と問いかけます。

伝七郎は、その問いかけに、大気をビリビリと震わす気合裂ぱくの大声で応じます。

周囲の観客や、吉本一門の高弟たちは気圧されますが、武蔵は冷静に眺めます。

どうしてそんな声を出す その方が剣術らしく見える?
肉の強張り 剣の起こり

届かねえ
なにも届いてこねえ…

お前の剣の目的は何だ
形を整え もっともらしく―――
剣術らしく見せるための剣

何も聞こえてこねえ

この時の伝七郎は、自身の上背の大きさ、すなわち間合いが長いことを「利」と捉えています。自身のギリギリの間合いで戦うことで、武蔵の剣が届かない、と考えています。しかし、当然ながらその刃は武蔵に届きません。完全に見切られています。

武蔵は、伝七郎が「刀の声」に耳を傾けないことに、半ば呆れたかのような感情を抱きます。そして、伝七郎の”刀”に対して「すまねえな」と心の中で詫びながら、自身の刀を合わせ、伝七郎の刀を叩き折ります。

”想像” を、一段超えた結末

伝七郎は、高弟たちから新しい刀を受け取り、自らの覚悟が足りなかったことを理解します。そして「戦いの先」を捨てることを決めます。つまり、武蔵との力量の差を認め、その差はこの先何年かけても縮むことはないと認めたうえで、「勝って、生きて帰る」ではなく「例え死んでも、武蔵を倒す」という覚悟を固めたわけです。

その覚悟を決め、八相の構えから斬りかかった伝七郎を、武蔵は、またも”想像”したとおり、「正対したまま、左手ごと鎖骨肋骨を縦一文字に切り裂く」という対応で処理します。

が、そこは、死の覚悟を決めた伝七郎。手首から先を切り落とされた左腕で武蔵を抱え込み、刀を持った武蔵の右手を動けなくした状態で、一撃を見舞おうと試みます。

身動きの取れない武蔵は、万事休す、かと思いきや、なんと、唯一自由の効く左手で伝七郎の脇差を抜き、腹を切り裂いて勝利するのでした。一年越しの戦いは、武蔵の完全勝利で幕を下ろします。

僕は、1年間で、武蔵ほど成長できたのだろうか?

伝七郎の脇差を使ったトドメの一撃について、吉岡の高弟との会話で、武蔵はこう語ります。(伝七郎を倒した当日の、夜の出来事です)

一太刀目が浅かった 少し圧(お)された気もする
あのときの伝七郎に対して あれでは不十分だと感じた
うん… そう 感じたな

そのあとは よく覚えていない

つまり、無意識の行動であった、というのです。 相手の動きに合わせた動き方を”想像”をしていた。これだけでも常人を凌ぐでしょう。そして、その”想像”通りに行動した上で、”想像の外”の出来事がおこったときに、それに合わせて最適な行動をとる(しかも、”想像”できないような選択肢を選んで)というのは、達人の域と呼んでよいのではないでしょうか。融通無碍、とでもいいますかね。

この境地に至るまでに(作中の)1年間で、武蔵は、宝蔵院と柳生に挑みました。また、因縁の相手、宍戸梅軒こと辻風黄平とも相まみえました。そして、京都最強と謳われる吉岡清十郎を屠り、(精神状態が壊れていたとはいえ)天賦の才を備えた祇園藤次を一刀のもとに斬り捨てます。すごい。さらっと書いてみたけど、本当にすごいな。京都の吉岡道場、奈良の槍の宝蔵院と、柳生の庄。それぞれが天下無双を名乗って憚らぬ3つの道場(なのかな)に喧嘩を売って生還するって、サッカーで言えば、レアルマドリードとACミランとマンチェスターユナイテッドに乗り込んで、1勝2分で凱旋帰国するようなもんだとおもうんですよ。漫画かよ。(漫画だけど。)

さて、翻って、本日は2017年10月13日です。2016年の10月の僕は、翌月に2冊目の発売を控えて、執筆の追い込みをしている時期です。そこから1年間で、果たして、武蔵のような「修行の日々」を送ることができたでしょうか。

この1年を振り返ると…

  • 書籍:2冊目を2016年11月に発売。3冊目を執筆⇒2017年6月に発売。4冊目は企画完了(執筆未着手)
    ⇒ 〇 執筆を本業としていない人間にしては、非常に頑張った方だと思います。
  • コンサル案件(昨年10月以降のテーマ):中期経営計画策定、経営ビジョン策定、マーケ戦略策定、人材育成の方針策定、書籍関連のセミナー
    ⇒ ◎ 多様な業界の幅広いテーマでありながら、戦略領域という上流案件に特化しているのは、極めてチャンジングで理想的。
  • ブログ執筆:だいぶサボっていて、9月末くらいから、ようやく再開
    ⇒ × ダメダメですね。お話になりません。
  • 読書:月4-5冊程度に留まる
    ⇒ × 例え、1日1冊が無理でも、週に2-3冊くらい読むべき。
  • 英語: きこえ~ご もできてない。自宅作業時には海外ドラマを英語で流しているが、そこまで本気で聞いてない。話す機会もない。
    ⇒ × 英語が堪能なら、受託できた案件もあるので、本当に反省しないとダメだなぁ…
  • デザインのお勉強:インプットを増やすようにはしていた。が、美術館や映画などにも行っていない。お勉強もしてない。
    ⇒ △ そもそも門外漢な領域なので、できていなくても仕方ないので評価は甘め。それでも、もうちょっとできただろ感が否めないので△。

という感じです。2勝3敗1分。負け越しですね。得失点差で予選落ちしそうな感じ。

時間の平等性は「機会の平等」

伝七郎は「時間は平等だ」と言いました。しかし、1年後、武蔵との差は圧倒的なものになっていました。それはなぜか。答えは極めてシンプルです。「時間の平等性は、結果の平等ではなく、機会の平等を意味するから」です。

弊社(株式会社ギックス)では、1.01^365=37.8 ということを標語として掲げています。毎日1%成長したら、1年後には37.8倍になれるんだから、それを目指そうぜ!という目標です。一方、その対局に位置するのは、0.99^365=0.03 です。毎日、ちょっとずつ退化すると、1年後には0.03になっちゃうから、そうなっちゃだめだよ!という警句です。

昨日と同じ今日、今日と同じ明日を生きていた人は、1.00^365=1 です。しかし、毎日1%ずつの成長を1年間続けた人は、その37.8倍に到達しています。そして、もし、今日は昨日よりも1%サボり、明日は今日より1%をサボったとしたら、1年後のあなたは、1.00を繰り返した人の3/100、1.01を繰り返した人の0.03/37.8≒1/1000になってしまいます。オーマイブッダ。(←宝蔵院の皆様向け表現)

吉岡伝七郎だって、別にサボっていたわけじゃありません。描かれている性格に鑑みれば、日々、鍛錬に励んでいたことは想像に難くありません。毎日、素振りも欠かさずやっていただろうと思います。柳生の庄にも訪れていました。おそらく、1年前の2倍や3倍には強くなっていたことでしょう。

しかし、武蔵は、毎日1%成長を続けて、37.8倍になっていたんだと思うんですね。元の強さが同じだとすると37.8と3です。どう転んでも勝てないであろう、圧倒的な差ですね。

こうして考えてみると「時間は、誰にとっても1日24時間と平等である」ということは、反対に、非常に残酷な事実だとも言えます。与えられたリソース量がまったく同じであるからこそ、その使い方によって大きな差ができてしまうのです。これは、いわゆる「結果の平等」ではなく「機会の平等」ってやつです。チャンスは等しく与えられている。それを掴みとるために何をするかは、個々人の手に委ねられている。

我々は、得られた結果に対して不満を言うべきではありません。与えられるべきチャンスが与えられていない場合のみ不満を口にすることが許されます。しかし、そのチャンスも、口を開けて待っているだけで、勝手に天から降ってくることは稀です。自らが求めるチャンスを明確化し、それに巡り合うために最善を尽くし、無事に出会えた暁には、それをモノにするために努力する。そういうことを日々繰り返すことが、1%成長をし続けるということなのだと思います。

ちなみに、自分の伸びしろの大きさは、伸ばしてみないことにはわかりません。正しい努力を、正しい分量行ってみたけれど、才能がなかった…ということも残念ながら起こり得ますが、「努力すべき領域を見極める」「その努力のやり方を定める」「定めたやり方に従って努力し続ける」という、成長のためのプロセスを身に着けることができただけで、凡人よりも数倍優秀な人材として評価されるはずです。安心して努力しちゃいましょう。

まずは、自分が才能に満ち溢れた武蔵であると信じ、一所懸命に邁進するのみです。限られた時間をいかに有効に使うか。それが勝負どころです。最初のマイルストーンは70日後、年末の仕事納めの頃です。そのタイミングで、1.01^70=2.01倍となっていることを目指して…。
バガボンド(25)(モーニングKC)
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