第十五戦:vs 祇園藤次 (第5巻より):研ぎ澄まされた危機察知能力と、それに即応できる身体能力|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

感性だけをいくら研ぎ澄ましても、体は反応しない

この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第15回の今回は、吉岡道場からの刺客 祇園藤次との戦いです。

バガボンド(5)(モーニングKC)

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吉岡一門の実力TOP5には入る実力者 祇園藤次

阿厳に辛勝し、一息ついている武蔵の元に、霧の中から近づいくる男がいます。京都の吉岡道場からの(勝手に来た)刺客 祇園藤次です。

武蔵は、飄々とした祇園を見ながら、こう考えます。

この男… ダラリと構えているが 不用意にとびこめば咬みつかれる

間合いに入ってくるものは 全て斬る奴

自信満々の祇園藤次に対して、その強さを感じつつも、武蔵は、祇園の間合いの外から一気に飛び込んで大上段からの一撃を放ちます。それに向かい

おっ なんと芸のない 一(ひとつ)の太刀!

と、即座に反応し、下段から逆袈裟斬りに切り上げます。この一撃を、武蔵は、なんと、束を握る”左手”をとっさに離してかわします。

ほうっ すごいな

打ちこむ最中に とっさに手をはなすーーー

普通 人間には そんなことはできんぞ

と、祇園は感嘆します。

ちなみに、剣道をやったことのある方ならわかると思いますが(と言っても、僕も高校の授業でやった程度なのですが)、剣(竹刀)を振り下ろす動作と言うのは左手が”引き手”の役割を果たします。従って、左手だけで振ることは出来ても、右手だけで振るのは困難です。イメージですが、ゴルフクラブやバットを振るときも似てるんじゃないですかね。引き手に相当する左手(右打者の場合ですね)だけならそれなりに振れますが、右手だけでは振りにくいですよね?(まぁ、僕はゴルフもやらないんで、あくまでもイメージなんですけど)

その引き手を、スイング中に離す・・・まぢかっ!?ってなりますよね!!! つまり、そういう感じです。そりゃ祇園もビックリするわ。

しかし、その人間離れした技でかわしたのは、その”引き手”に向かって逆袈裟に斬り上げた、これまた人間離れした祇園の技です。なんなの、こいつら。って感じですね。

その後、裂帛(れっぱく)の気合で斬りかかる武蔵。それを受け止める祇園。どのような結果になるか見当もつかない状況に、宝蔵院の二代目(候補) 胤舜が割って入り、両者を槍で突き飛ばして、先ほど武蔵に倒された阿厳に駆け寄ります。勝負つかずです。

あなたは、思い通りに体を動かせますか?

今回の武蔵の戦いにおいて特筆すべきは、武蔵のとっさの回避能力です。上述した通り、普通に野球の練習をしていても、デッドボールになりそうな危険球が手元に飛んできたからといってバットを振りながら左手を離す、なんてことはできないでしょう。

ここには、2つの凄さがあります。

ひとつめは、その「左手を狙われている」ということに気づく能力です。これは、危機察知能力ですね。正対した相手が、上段からの打ち込みに、逆袈裟で斬り上げてくるということはあったとしても、普通なら、それが束を握った手を狙ってきているとは思わないでしょう。日本刀の束(つか)の中には刀身の一部(中子(なかご)とか茎(くき)とか呼ばれますね)が入っていますので、そこを狙っても、(まぁ、束を握った指は切れるかもしれませんが)束を斬り飛ばすことは出来ません。日本刀は繊細な工芸品ですので、金属同士の打ち合いには適しません。中子を斬ると、おそらく刃こぼれを起こしてしまい、その後の戦いに支障が出ることと思われます。これは、武蔵が手に持つのが「木刀だから」狙ったのだと考えるべきでしょうね。余談ですが、吉岡伝七郎戦@吉岡道場でも、日本刀vs木刀でのつばぜり合いにおいて、武蔵は伝七郎に”木刀の刀身”を削られています。自らが真剣を手にしているのに対して、相手が木刀であることをしっかりと理解して対処する吉岡一門の冷静さが伺えます。そんな通常ならあり得ないイレギュラーな攻撃に気づくのは、野生の勘という言葉で片付けてよいものやら・・・

しかし、恐るべきはふたつめです。それは「気づいたことに反応できる」ということです。この能力は、実は”察知能力”よりも実現困難なものかもしれません。皆さん「武井壮」と言う方をご存知でしょう。彼が、スポーツが上達するコツについて、こんなことを言っていました。(logmiで書き起こされていたので、そちらから抜粋して引用します。)

「まず1個は、自分の身体を思ったとおりに動かす、っていうこと。まず一番簡単なことでいうと、たとえば、目をつむって立っているときに、真横に腕を挙げてくださいっていうと、アスリートとかでも、結構上にあがっちゃったりとか。目をつぶってやると、こうやってちょっと下がったりとかすることがあるんですよ。これってすごい問題なんですよ、アスリートにとって。」

「たぶん今タモリさんにやってもらったほうがわかると思うんですけど。目をつむってもらって、真横だと思うところで腕を止めてもらっていいですか? 「ここが真横だな」みたいな。はい、お願いします。(タモリ、腕を横に上げる。少し腕が水平より上に上がっている)」

「みなさんわかるでしょう。これを僕、直しますね。タモリさん、目をつむったままで。これで、さっきよりはかなりまっすぐですね。かなり。タモリさん、ここ覚えてもらっていいですか? 感覚で。ここらへんがまっすぐ、っていうところ。じゃあ1回、目を開けて、下ろしてください。(タモリ、腕をおろす)」

「そうしたら、さっきはタモリさん、手がこれくらいまで上がっていたんですよ。だから、(会場の)みなさんも「ああー」って。まっすぐだと思っているのにまっすぐじゃない、とわかったじゃないですか。今度もう一回、目をつぶって、さっき覚えたところに手を挙げてください。さっきの感覚のところです。(会場 感嘆 拍手)

「これはスポーツが上達したわけでもなんでもないですけど、タモリさんはひとつだけ、腕の「たぶん真横だ」と思うところを覚えたということなんです。」

出所:logmi

ちょっと長いのですが、要するに「自分で、思った通りに体は動かない」ということなんですね。

また、ピンポンという松本大洋さんの名作があります。窪塚洋介さん主演で実写映画化もされたので、そちらでご存知の方もいるかと思うのですが、その中に出てくる海王学園の風間くん(通称ドラゴン。映画では中村獅童さんが演じてましたね)がこんなことを言っています。

人間の反応時間の生理的限界は0.1秒なのであります。

これを反射時間と呼びます。

卓球と言う競技はこの反射時間に反応時間を可能な限り近づけることにより、その極致に至る事が出来るというのが自分の考えであります。

出所:ピンポン(1巻)

体に限らず、マインドセットでも同じ。殺し合いに限らず、ビジネスでも同じ。

これは、本当に日々の鍛錬によって形成される能力です。机上の空論ではダメです。

そして、ビジネス実務においても、同じ状況があります。例えば、顧客折衝。相手がとても強面でご立腹だったとして、普段通りに対応できるでしょうか。あるいは、戦略検討。三日三晩寝てない状況で、同じパフォーマンスを出せますか。詰めが甘くなったりしてませんか?

こういう「通常と違う状況」において、通常通りのパフォーマンスを出すためには、普段から鍛錬を積むしかありません。場数って奴ですね。場数を踏むことで目指すのは、マニュアルミッションの車を運転するときのシフトチェンジ作業くらいですかね。マニュアルミッションの車を運転する際に、シフトチェンジにおけるクラッチ合わせが”無意識下”で行えるようにならないと、ハンドリングに影響が出てしまいます。それくらいのレベルを目指しましょう。

思った通りに体と精神を動かせるようになれば、武蔵のようにイレギュラーな状況にも対応できるようになることでしょう。

 

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