第三十六戦:vs 右足の大怪我:己の身体を意識する|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

己と向き合わずして、解決はない

この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。今回は、吉岡一門との決戦で、植田良平によって受けた右足ふくらはぎの大怪我との戦い(けがを治すための戦い)を読み解きます。

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 武蔵は、剣を棄てざるを得ないのか

前回、雪の降る森の中に立ち尽くしていた武蔵ですが、そのまま意識を失います。それを、旧知の仲である又八が見つけ、金福寺(こんぷくじ)まで連れてきてくれます。そこで、沢庵和尚、おつう らの看病を受け、何とか一命をとりとめます。

数日間眠り続けた武蔵が、ようやく目覚めたとき、傷口は何とかふさがってはいますが、全く右足に力が入らない状態になっていました。

ふくらはぎの「腓腹(ひふく)筋」と「ヒラメ筋」を深く斬り割かれたことを考えると、大量の塩を擦りこみ、焼酎をぶっかけて消毒するという現代医学ではありえないような荒療治によって、血が止まっただけでも奇跡としか言いようがないでしょう。

しかし、武蔵にとってみれば、右足が動かないということは、剣の道を追求することを諦めるということを意味しています。それは、命を失うに等しいと言えるでしょう。

闘いは、もう終わりだそうだ

沢庵は言います。

あれは京で 一・二の名医らしい
闘いは もう 終わりだそうだ

天は お前にもう
斬り合いを 望んでおられない
ということじゃないのかね

剣はおろか、歩けるようになるかどうかさえも定かではない、深刻な怪我です。

医者に診てもらった際にも、何とか立ち上がってはみるものの「棒っきれのようだ 前にも後にも踏み出せねえ」状態です。医者は言います。

なあ 武蔵さんよ
その一太刀を負わせた人物に感謝なさいよ

光無き…… 地獄の行き止まりへ向かうあんたを
止めてくれたんだからねえ

沢庵は

別の道を生きるときじゃないか 武蔵?
たとえば おつうとともにーーー

と提案します。

そして、主君に仕える侍として、江戸で仕官してみてはどうか、と提案します。もちろん、おつうを妻にめとって、です。

ガチガチに固定していては、分からない

しかし、武蔵は、剣を捨てることを良しとしません。

ぐるぐる巻きに固められた右足の包帯を外し、自らの足で立ちます。右足を床につけて体重をかけるかかけないか、で「あーーーー」と情けない声を出すほどの激痛が走ります。それでも、武蔵は

いいんだ こんなもので固めていては
痛いかどうかすらわからんし

俺の体だ

と、言い放ちます。そして、囚われている(正確には、吉岡の縁者や、天下無双となった武蔵を倒して名を挙げんとする武芸者を遠ざけるために保護されている)牢の牢番である役人に「棒っきれを持ってきて欲しい」と頼みます。

軽い棒を貰い、それを、かつて小次郎が雪だるまを斬り割いていた時のように、振ることで剣の勘を取り戻そう、というわけです。

実際、数日の後には、まったく万全ではないものの、枝を振るうまでに快復します。(武蔵自身は、全然ダメだ、とひとりごちますが)

その数日後には、立って剣を振るうことはしないものの、座ったまま鉈を振るい、薪を割ります。

そして、さらに数日後には、杖を頼ってではありますが、歩くことができるようになります。

おそらく、武蔵の右足の神経は切れており、足先(少なくとも、アキレス腱回り)の感覚は無いでしょう。痛みを感じているのは、切り傷の部分であり、その下の部分は痛覚があるかどうかも怪しい状況です。その状態で、ガチガチに固めてしまうと、足の筋肉は硬直し、右足は動かなくなるでしょう。それを嫌った武蔵は、自分で包帯を解き、痛みと向き合うことで「己の身体」と向き合うことを決めました。

いわば、強制的なリハビリ(しかも、相当強引な)です。

このリハビリテーションによって、最低限の回復を遂げたことは、武蔵の生来の生命力、回復力が凄い、ということもできますし、日々の鍛錬の賜物ともいえるでしょう。

自分の身体および、自分の精神と向き合うという行為は、非常に困難です。しかし、その困難を乗り越えることなくして、成長はありません。武蔵は、ここに至るまで、常に自分を高めるために努力してきました。体を鍛え、精神を研ぎ澄ましてきました。

それが、この生命を脅かすほどの怪我に際して、固めた足をほどくという判断につながるとともに、そこから驚異的な回復を遂げるための礎となっているのは間違いありません。

戒めを残す

このまま驚異的な回復を遂げ、以前と変わらず(もしくは、いぜんよりももっと)自由自在に動けるようになる、というのが少年漫画の王道ですが、さすがはバガボンド(というべきか、井上雄彦というべきか)。そんなベタでご都合主義な展開にはなりません。

31巻の冒頭、武蔵の体の中の免疫細胞と思しき者たち(形は武蔵と同じ人型で、それが複数人いる、と考えてください)が、次のような会話をします。

「オーイ」「援軍だ!」「おー!」
「加勢に行けと言われてね」「わー 助かるな」「もう へとへとだ」

「ふう だいぶよくなった」「よーし あと少しだ」
「・・・・なあ 帰ろうか」「うん」「帰ろう この辺で」
「どうした? あと少しだぞ」「もう少しで奇跡を起こせるんだぜ 俺たち!」「ここまで来て 諦めんのかよ!」
「これ以上はいいと 俺たちの大本(おおもと)が言ってる」「この傷を背負うと 忘れてしまわないためにと そう言ってる」
「そうか あと少しなんだけど そういうのなら それでいいんだろう」
「じゃあ また会おう」「困ったら呼んでくれ いつでも 今度は俺たちが助けに行くよ」
「ありがとう 兄弟」

武蔵は、すでに杖なしで、軽く踏ん張ることくらいはできるようになっています。数歩を歩く程度ならば、おそらく問題なくこなせるでしょう。

このまま、武蔵の驚異的な体内免疫システムが、右足の傷を修復し続ければ、少年漫画の王道展開である「より強くなって復活」というパターンになっていたかもしれません。しかし、武蔵の(無意識下での)判断は「戒めとして、この傷を抱えていく」というものでした。

武蔵は、剣の道を捨てることを潔しとしませんでした。殺し合いの螺旋からは降りたいと願うものの、剣の道を追求することからは逃げないと決めました。しかし、その際に「自分自身が、天下無双を目指す中で、多くの人を殺してきたこと。殺し合いの螺旋の只中にいたこと。自らを死の危険にさらされてきたこと。剣の道を断念することさえも考えたこと」を、忘れないために、傷を残し、不自由な右足と付き合うことを決めたのです。

もちろん、傷を治す治さないを、意識的にコントロールすることができるとは思えません。いわゆる、漫画的表現です。しかし、この生き方に対する姿勢は、武蔵という人物の考え方をしっかりと反映しているように思えてなりません。

ということで、次回は、同じ時間軸のなかで、武蔵が自分自身の内面に潜む「我執」と対話していた部分にスポットライトを当てていきます。(つまり、剣による「闘い」の読み解きは、次々回からになる、ということです。飽きずにお付き合いいただけましたら幸いです。)

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