第十八戦:vs 新免無二斎 (第7巻より):「時間」が解決する問題もある|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

悩み抜いた先に、答えがあるとは限らない

バガボンド(7)(モーニングKC)

この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第18回の今回は、父 新免無二斎との(想像上の)戦い(というか、やりとり)です。

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多少鍛えたくらいでは、自信なんてつかない

前回、胤舜からの挑戦状を受け取った武蔵は、果たし合いの前夜、落ち着きません。2~3ヶ月の修行を経て、その期間内でできることはすべてやったという自負はあるモノの、前回の対戦時にコテンパンにやられた記憶がよみがえり、勝てるという確信に至りません。むしろ、不安にさいなまれています。

そうこうするうちに、嵐が強まってきます。豪雨の中、武蔵は胤舜に夜討ちをかけようと考え、一路、宝蔵院へ向かいます。

宝蔵院に着き、いざ、踏み込もうとするとき、武蔵は自分の足が重いことに気づきます。恐れに囚われているわけですね。そこへ、父、新免無二斎(の亡霊?)が姿を現します。

無様だな 武蔵(たけぞう) その一歩が踏み出せぬか

まともに試合っては勝ち目がないと見て 夜襲を思いついたが それすらーーー 怖じ気づいて果たせぬか

そして、武蔵の弱さをなじり、強くもないのに強いふりをすることを責めた上で、最後に、こう言い捨てて消えます。

もうすぐ うぬは死ぬ

自信を喪失し、その場に膝から崩れ落ちた武蔵は、夜討ちを諦めて森に引き返すのです。(実際のところ、胤舜は起きていましたので、そのまま夜討ちをしていると、おそらく武蔵は死んでいたでしょうけれども。)

死を覚悟したものが、1日を生き延びると・・・

武蔵は、川で雨と泥にまみれた体を清め、夜明けを前に心を鎮めようと努めます。しかし、出てきた言葉は

死にたくねぇ

でした。

胤舜が来る、すなわち、自分は死ぬ、そう思うと、昇り来る朝日に対して自然と手を合わせてしまいます。そんな自分に驚きつつ、死への覚悟を固めます。

 

・・・が、ふと気づくとアタリは真っ暗です。悩んで悩んで悩み抜き、雨の中を宝蔵院まで走り、さらにはそこで精神的に消耗し、森に戻って死への覚悟を決める、という一連の流れを経て疲労困憊した武蔵は、朝から夜まで寝てしまったのです。orz

・・・寝ちまったのか?

・・・・

一日が終わっちまったのか!?

(中略)

うわっはっはっはっは 一日生き延びてやがる ぶぶっ こっけいな なんだ俺は ぶっ はっはっはっは

そして、満天の星空を眺めながら、こう呟きます

ちっぽけなもんだ 死が運命ならーーー それもまたよし

相手は俺の出会った最強の男 宝蔵院胤舜

最後の相手としては悪くない うん 有り難い

こうして、本当の意味での覚悟を決めた武蔵は、胤舜の元に向かい、「すまぬ 今まで寝過ごしてしまった 許してくれ 胤舜」と頭を下げ、いざ決戦と相成るのでした。

 案ずるより産むが易しとまでは言わないが、案じててもしょうがなかったりはする

今回の武蔵は、相手と戦う前に、自分との戦いに負けてしまいました。この状態で戦っても、勝てるわけはありません。自分が最もコントロールできる対象物は自分です。それさえもコントロールできない状態で、相手をどうこうする、というのは非常に難しいです。

今回の場合、武蔵は、恐怖を乗り越えられませんでした。そして、恐怖を抱えたまま、死を覚悟しました。「数時間後に、自分は死ぬ」と覚悟を決めたわけです。しかしながら、大変残念なことに、この覚悟は武蔵の命を救うことは無いでしょう。生きることを諦め、来るべき未来とその結果を受け入れただけです。おそらく、その受け入れた未来の通りに物事は進むでしょう。足掻くでしょうし、善戦をするかもしれませんが、命は予想通り奪われただろうと僕は思います。

しかし、一晩中あれこれ考え、行動にもうつした結果、武蔵は体力的にも精神的にも限界を迎えて寝落ちしてしまいます。その結果、「死ぬはずだったタイミングを逃す」ということになります。なんとも拍子抜けな結果でしょうか。死ぬと決めたのに、死ななかった。生き延びてしまった。びっくりです。

こういう場合、人の精神は真逆に振れます。「もう死ぬものだと覚悟した(超ネガティブ)」⇒「しかし、生き延びてしまった(意外な展開)」⇒「一度捨てたはずの命がまだある(ラッキー)」⇒「よし、いいじゃないか。いま生きてるだけで儲けものだもんな(ポジティブ)」⇒「いっちょ、やってみっか(超ポジティブ)」という感じです。まぁ、普通のサラリーマンの人生において生死にかかわるようなことは無いでしょうけれど、例えば、「とりかえしのつかない大失敗してしまったと思って凹んでいたら、何かの手違いで社内手続きが止まっており失敗が未然に防がれていた」みたいなラッキーな状況に遭遇すると、別に、なにか良いことが起きたわけでもない(つまり、失敗前のままで何も変わらない)のに、物事が好転したような気持になりますよね。そんなもんです。

コツは「一回、忘れる」こと

もちろん、悩むことは大切です。今回の武蔵も、悩んで悩んで悩み抜いた結果、ようやく”死の覚悟”を決めることが出来ました。やはり、人は、しっかり立ち止まって考えることが大切だと思うんですよ。悩まずにとりあえず突っ走った場合には、先述の通り、武蔵は死んでいることでしょう。ただ、悩んだからと言って、必ずしも正解に辿り着くわけではありません。それを理解しておくことが重要です。

じゃぁ、どうすれば、事態を打開できるのでしょうか。僕は、そのコツは「一回、忘れる」ってことなんじゃないかなと思います。

一回、ちゃんと考えます。考えて、考えて、考え抜きます。そして、(結構絶望的な場合もあるでしょうが)ひとつの結論に辿り着いてしまいましょう。で、忘れる、のです。

これは、決して「運を天に任せる」とか「諦めて受け入れる」とかではないです。本気で、忘れる、んです。

何言ってんだこいつ、と思うかもしれませんが、人と言うものは考えれば考えるほど視野が狭くなる生き物なんです。従って、深く深く考えていくことは、狭く狭く考えていくことに繋がりやすいんですね。そういう中でたどり着いた結論は、もちろん一つの答えですから尊重すべきものではありますが、それを敢えて「違う視点」で見つめてみることが求められてるんじゃないかなーと思うわけです。

僕が敬愛するコンサルティングの師匠である”M氏”の名言に「議論で負けそうになったら、視座を上げろ」というものがあります。これは、決して多用してはいけませんが、どうしようもないときの必殺技です。例えば「出店戦略をどうすべきか」という議論をしているときに、本来はその問いの中で戦うべきなのですが、その議論で不利と見るや「そもそも今、出店すべきなのか? 不採算店の統合・廃止から着手すべきではないか?」という問いを投げかけてみると、少なくとも、その議論では負けません。(これを、字面通りに受け取って、テクニックとして活用すると、いろいろ問題があるんですけどね。まぁ、ご参考まで。)

上記が良い例かどうかは別にして、これは「元のトピックを一旦忘れて、別の考え方でアプローチする」ってことなんですね。こうすると、今まで論じていた話の前提が簡単に覆っちゃったりします。もちろん、ディスカッション中にこれをやると嫌われるリスクが高いので要注意ですが、自分ひとりで悩んでいる場合には全然アリです。誰にも迷惑かからないですしね。

案ずるより産むが易し、という言葉を信じて、案ぜずにやみくもに走ると事故ることも多いです。まず、しっかりと案じた上で、一回それを忘れて ”冷静な、さっきまでとはちょっと違う自分” になって物事を見返してみると、意外と良いアイデアが見えてくるかもしれませんよ。

 

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